玄関会議室

会議室

この会議室はパソコン通信と同様のオンライン掲示板です。 どんな話題でもかまいませんので気軽にじゃんじゃん書き込んでください。

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・「素晴らしき哉、人生!(It's a Wonderful Life)」フランク・キャプラ監督、
1946年、アメリカ、衛星映画劇場

 クリスマスが近づくと、世界のどこかで必ず上映されるクリスマス映画の定番。
フランク・キャプラ監督らしい、楽観的かつ予定調和的作品だけど、たまにはこ
んな映画を見て、ホンワカした気分になるのもいいかも。

・「プリシラ(The Adventures of Priscilla Queen of the Desert)」ステファ
ン・エリオット監督、1994年、オーストラリア、DVD

 おおらかで、アバウトで、不思議なユーモアセンスが漂う、いかにもオースト
ラリアらしいゲイのロードムービー。オーストラリアはゲイの人口密度が世界一
の国で、年に1度、世界ゲイ大会がシドニーで開かれている。この作品をリメイ
クしたアメリカ映画「3人のエンジェル」と比べると、そういった文化的背景と
国民性の違いがよくわかる。

 そして何よりもテレンス・スタンプ(コレクター)、ヒューゴ・ウィービング
(マトリックス)、ガイ・ピアース(メメント)というアクの強い俳優にドラッグク
イーンを演じさせるセンスには、大爆笑かつ脱帽!(^O^)

・「ローサのぬくもり(Solas)」ベニト・サンブラノ監督、1999年、スペイン、
衛星映画劇場

 母と娘の交流を通して庶民の生活をしっとりと描いた、何となく小津安二郎を
連想させるような佳作。ラテン系、闘牛、情熱といったキーワードで語られるこ
との多いスペインなのに、映画はなぜかこういったしっとりとした作品が多い。
スペイン民謡には不思議と哀愁漂う曲が多いが、それが何となく納得できるよう
な気がする。

                            とものり

・「バルカン超特急(The Lady Vanishes)」アルフレッド・ヒッチコック監督、
1938年、イギリス、衛星映画劇場

 ヒッチコック監督のイギリス時代の作品。既に独特の作風を確立していること
がわかる初期の傑作。こういった作品を見ると、ミステリーはやっぱりイギリス
が本場であることと、ヒッチコックの作風はイギリス的だということがよくわか
る。

・「テルミン(Theremin:An Electronic Odyssey)」スティーブン・M・マーティ
ン監督、1993年、イギリス/アメリカ、衛星映画劇場

 電子楽器「テルミン」を発明した、レオン・テルミン博士の半生を綴ったドキ
ュメンタリー。テルミンという電子楽器は、仰々しい電子的な仕掛けと幻想的な
音色、そして独特の妖しい演奏法によって、何となくマッドサイエンティストが
発明したSF映画のガジェットという感じがする。

 計算尺、真空管ラジオ、アナログシンセサイザーなど、アナログ的な科学技術
を使った道具は、科学的でありながら人間臭いところがあって、実にいい味を出
している。これに比べると、コンピュータなどのデジタル的な科学技術を使った
ツールは、人間味がなくて味気ない感じがする。

・「ぼくの伯父さん(Mon Oncle)」ジャック・タチ監督、1958年、フランス/イ
タリア、衛星映画劇場

 フランスのチャップリンといわれるジャック・タチが、監督、脚本、主演の3
役を兼ねた代表作。チャップリンからウェットさを取り去り、代わりにエスプリ
とポップなシュールさを詰め込んだような感じ。タチのセンスはいかにもフラン
ス的だから、チャップリンほど日本人受けはしないけど、気に入った人はとこと
ん惚れ込んでしまうような気がする。

・「チョコレート(Monster's Ball)」マーク・フォースター監督、2001年、アメ
リカ、DVD

 暗くて重い余韻を残す、アメリカ映画らしからぬ作品。この救いようのなさは、
まるで昔の日本映画のような感じ。ラストシーンのハル・ベリーの表情によって、
久しぶりに忘れがたいアメリカ映画になった。

                            とものり

・「カンフーハッスル(Kung Fu Hustle)」チャウ・シンチー監督、2004年、中国、
DVD

 チャウ・シンチー製作・監督・主演のカンフーコメディ。前作「少林サッカー」
と比べると、こちらの方がカンフー映画の王道といってもよい内容だけど、その
分、ハチャメチャさが少ない。でも前作の大ヒットで乗っているから、その勢い
につられてけっこう楽しんで観られた。

・「サボテンの花(Cactus Flower)」ジーン・サックス監督、1969年、アメリカ、
衛星映画劇場

 芸達者なウォルター・マッソーと、キュートなゴールディ・ホーンはイメージ
どおりの役柄だけど、生真面目なオールドミス役を生真面目に演じているイング
リッド・バーグマンにはビックリ! 沢口靖子が「タンスにゴン」で生真面目に
ギャグをやっているのは、この映画のバーグマンを真似たのかも…。(^^;)

・「WXIII 機動警察パトレイバー(WXIII Patlabor the Movie 3)」遠藤卓
司/高山文彦監督、2002年、日本、DVD

 「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」の高山文彦が総監督を務めた、
機動警察パトレイバーの劇場用シリーズ第3作。何がやりたいのかよくわからな
い、コンセプト不明な作品。パトレイバーシリーズのひとつではなく、最初から
オリジナル作品として作った方が良かったと思う。

・「ライオンと呼ばれた男(Itineraire D'un Enfant Gate)」クロード・ルルー
シュ監督、1988年、フランス/ドイツ、衛星映画劇場

 ジャン・ポール・ベルモンドの個性を生かすために、クロード・ルルーシュ監
督が撮った作品。ベルモンドが実に生き生きと、気持ち良さそうに演じていて、
僕的には彼の最高傑作映画だと思う。荒唐無稽でハチャメチャで、そのくせ深み
があって後味が爽やかで、ベルモンドの代表的舞台作「ラ・マンチャの男」を髣
髴とさせるような傑作。

                            とものり

 先日、連載が無事に終了した「ある地方議員後援会の理想と現実」を「選挙四
方山話」としてまとめ、エッセイコーナーに展示しました。

 足掛け3年間もの間、よくもだらだらと続けたもんだと、我ながら感心してい
ます。(^^;)

 この連載中に、僕の人生のターニングポイントになるような出来事が沢山起こ
り、連載を始めた時と現在では僕自身の状況が大きく変わってしまいました。そ
のことと、自分でもかなり入れ込んで書いたことから、この連載は思い入れの強
いものになりました。

 長くてさもしい話ですが、地方選挙と地方政治、そして田舎の自治会に興味の
ある方は、ちょいと拾い読みしてやってください。m(..)m

                            とものり

・「おいしい生活(Small Time Crooks)」ウディ・アレン監督、2000年、アメリ
カ、衛星映画劇場

 トレイシー・ウルマンとウディ・アレンのボケと突っ込み夫婦漫才の巧さとい
い、ヒュー・グラントの皮肉な使い方といい、いかにもウディ・アレンらしいコ
メディ。ただ、手馴れた巧さの反面、尖ったところが減ってきたのは、やっぱり
年のせいかなぁ。

・「ジンジャーとフレッド(Ginger Et Fred)」フェデリコ・フェリーニ監督、
1985年、ドイツ/フランス/イタリア、衛星映画劇場

 フェデリコ・フェリーニ、ジュリエッタ・マシーナ、そしてマルチェロ・マス
トロヤンニと、この3人を並べるだけで何となく切なくなってしまう。3人とも
好きなタイプではないのに、この切なさはやっぱり芸の力なんだろう。マストロ
ヤンニの切ない情けなさは至芸と言っていいかも。

・「孔雀夫人(Dodsworth)」ウィリアム・ワイラー監督、1936年、アメリカ、衛
星映画劇場

 ノーベル賞作家シンクレア・ルイスの小説を、ウィリアム・ワイラー監督が映
画化した初期の名作。この作品や「嵐が丘」といった文芸作品を撮る一方で、
「ローマの休日」、「ベン・ハー」、「コレクター」といった作品も撮るんだか
ら、ワイラー監督の守備範囲の広さにはとにかく驚かされてしまう。

・「シービスケット(Seabiscuit)」ゲイリー・ロス監督、2003年、アメリカ、
DVD

 傑作競馬マンガ「みどりのマキバオー」のハリウッド映画版。最初の5分を観
ただけで、その後のストーリー展開もラストもわかってしまうけど、ツボをしっ
かりと押さえているので、こうくるだろうとわかっていながら、やっぱりそうこ
なくちゃね、と納得してしまう。定石を押さえたベタな映画は、意外性はない代
わりに、それなりに安心して楽しめる。

                            とものり

 この1年は、ベンチャービジネスなんぞに首を突っ込んだおかげでめったやた
らと忙しく、ゆっくりと映画を観ている暇がありませんでした。その中で、記憶
に残ったものだけを簡単に紹介しましょう。(^_-)

・「イノセンス(Innocence:Kokaku kidotai)」押井守監督、2004年、日本、DVD

 いかにも押井守監督らしい、「観たい人だけが観てくれればいい」という居直
りアニメ。アニメ表現と演出をここまで尖らせてしまうと、ついていける観客が
いなくなるのではないだろうかと少々心配になる。

・「シャドウ・オブ・ヴァンパイア(Shadow of the Vampire)」E・エリアス・
マーヒッジ監督、2000年、アメリカ、衛星映画劇場

 F・W・ムルナウ監督の吸血鬼映画の古典「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年、
ドイツ)を題材にした、ジョン・マルコヴィッチとウィレム・デフォーという2
大怪優のための映画。この映画を製作したのがニコラス・ケイジというのは、何
となく納得。

・「大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups)」フランソワ・トリュフォ
ー監督、1959年、フランス、衛星映画劇場

 ヌーベルバーグの記念碑的作品。トリュフォー監督の自伝的作品ということに
なっていて、確かにそんな感じがする。ただ、少年期の反抗的・反社会的寂寞感
には共感するけど、生活環境があまりにも違うため、いまいち感情移入ができな
かったなぁ。

                            とものり

・「縄文物語・わのきなとあぐね」高室弓生(タカムロキミ)、青林工藝社、2007
年3月発行

 縄文漫画家・高室弓生の初期作品です。「ニタイとキナナ」がヒットしたおか
げで17年ぶりに復刻されました。

 内容的には「ニタイとキナナ」と同じような縄文時代のホームドラママンガで
すが、初期の作品だけあって絵も物語も生硬であり、「ニタイとキナナ」に比べ
るとどうしても見劣りしてしまいます。

 しかし物語の背景となる世界は全く同じであり、すでに高室氏独特の縄文世界
観が確立していたことがわかります。この作品と「ニタイとキナナ」の間に三内
丸山遺跡ブームがあり、一般人の縄文時代観が一変したことを考えると、これは
実にすごいことです。

 高室氏の縄文マンガは、これらの2冊でほぼ出尽くしてしまいました。縄文マ
ニアの僕としては、氏の縄文マンガをもっと読みたいものです。

                            とものり

・「ニタイとキナナ」高室弓生(タカムロキミ)、青林工藝社、2006年11月発行

 おそらく日本で唯一の縄文時代専門の漫画家・高室弓生女史の、縄文時代のホ
ームドラママンガ(^^;)です。縄文時代のごく普通の人達の生活を、専門的な知識
に裏打ちされた緻密な考証で、実に淡々とそして生き生きと描いています。

 作者の高室さんにとって、縄文時代はほんの一昔前のような身近な時代であり、
この作品の登場人物達は、丘ひとつ超えた隣村に住んでいるような身近な存在な
のでしょう。

 そして驚くべきことは、三内丸山遺跡が有名になるかなり前から、緻密な考証
と豊かな想像力だけでこのような見事な縄文世界観を作り上げ、それを基にした
作品を描いていたことです。

 作者によると、三内丸山遺跡が有名になる前は、研究者や考古学マニアからや
たらと作品を批判されていたのに、三内丸山によって縄文時代のイメージが変わ
ってからは、批評がパッタリと来なくなったそうです。

 縄文時代ファンの僕は、この時代を背景にした荒唐無稽ではない物語を読みた
いなぁ…と何となく想像していたものが、これほど見事な作品として実現してい
ることに驚き、この作品を見つけた時は随喜の涙を流して喜びました。

 縄文時代のことを知りたい人は、特に縄文時代の普通の庶民の生活を知りたい
人は、考古学者が書いた難しい本よりも、このマンガを読むことを強くお勧めし
ます。v(^_-)

                            とものり

・「ダーウィンの悪夢(Darwin's Nightmare)」フーベルト・ザウパー監督、2004
年、フランス/オーストリア/ベルギー、名古屋シネマテーク

 ちょっと前に話題になった傑作ドキュメンタリー映画です。試写会に応募した
のに外れてしまったので、仕方なく近所のシネマテークに行って観てきました。

 とにかく重くて、胃の腑に応える映画です。この映画を観た後、しばらくはナ
イルパーチを食べる気がしませんでした。(とは言うものの、数日したらすっか
り忘れて食べてましたけど……(^^)ゞ)

 似たようなテーマの映画はけっこうありますが、映像向きの戦争を題材にせず、
ナイルパーチという身近なものに題材を絞ったところが秀悦です。

 この映画を観てショックを受け、ナイルパーチのボイコット運動を起こしたと
いうフランス人達の単純さには少々呆れましたが、この映画を観てあまりショッ
クを受けなかったアメリカ人達の鈍感さにはもっと呆れました。(この映画が公
開された年のアカデミー賞ドキュメンタリー部門は、元ゴア副大統領を主役にし
た地球温暖化テーマの映画「不都合な真実」が受賞)

 この映画で扱っているテーマについては、ウィルあいちの売店でフェアトレー
ド商品を売っていて、そこで色々と話を聞いたり、本を読んだりしてある程度知
っていました。

 この映画を観てこのテーマに興味を持った人には、フェアトレード商品につい
て調べてみることをお勧めします。(^_-)

                            とものり

>通りすがり(^^;;さん

>>某Blogとかだったら、人気ブログ>小説化>印税生活(笑とかだったんでしょうけどね。。

 これを本にしたら、統計学入門書よりは売れるかもしれませんね。統計学入門書は、
まだまだモトが取れてませんからね〜。(^^;)

>>次回、ベンチャー繁盛記?期待してます(*^^*

 ベンチャービジネスの世界は、地方政治の世界ほどではないものの、とんでもない人
達がとんでもないことをやっていて、とんでもない常識がまかり通っているとんでもな
い世界ですよ。

 この世界は、地方政治の世界と同様、僕がいるべき世界ではないような違和感があり
ますが、せっかく足を踏み入れるハメになったのですから、後で連載書き込みができる
ように、冷静かつ客観的に記録を残しておきたいと思っています。

 うまくいけば、数年後には書き込みができるような気がしてますよ。(^_-)

                           とものり

393. 連載お疲れ様でした 投稿者:通りすがり(^^;; 投稿日:2007/03/22(木) 19:59:23
某Blogとかだったら、人気ブログ>小説化>印税生活(笑とかだったんでしょうけどね。。
お疲れ様でした。
次回、ベンチャー繁盛記?期待してます(*^^*


 その後は、数ヶ月に一度くらいの頻度で元の家に行き、家がカビで占領されな
いように(^^;)、掃除をしたり風を通したりしています。

 そういった折に、新町会議員に会ったり、近所の人から話を聞いたりしたとこ
ろでは、新町会議員は次第に自分の考えを表に出すようになり、後援会の幹部の
人達と意見が分かれることが多くなったようです。

 そこで後援会の幹部の人達は、ずっと以前の町会議員の息子さんを説得し、次
の町会議員にするような働きかけを始めたらしいとのことでした。そしてその結
果、その息子さんは自ら区長になり、町会議員になる準備運動のようなことを始
めたという話でした。

 さらにその後、市町村合併があり、その町は市になり、町長は市長になりまし
た。その時にも、現市長派の人達と反市長派の人達の間でひと悶着あり、裁判沙
汰やら何やら相当な騒ぎが起きたとのことでした。

 そしてさらにその後、市長選挙があり、市を真っ二つにしての大騒動を経て、
今度は反市長派が推薦した人物が当選して、現市長は落選しました。

 すると例の地元の特殊な政治団体と後援会の幹部は、またしても手のひらを返
したように現市長派から新市長派に寝返り、すぐさま区長を連れて当選祝いに駆
けつけ、ひたすら忠誠を誓ったそうです。(^^;)

 しかしそういったことは、今の僕にとっては、まるで遠い異国の噂話のように
しか思えなくなっています。僕の、自分でももてあまし気味の気まぐれな好奇心
は、自治会活動や後援会活動といったものには、もはや食指を動かされないよう
です。

 その代わり、この厄介な好奇心は、またしても僕を別のとんでもない世界──
ベンチャービジネスの世界へと引きずり込むことになります。そのとんでもない
世界の裏表については、また別の機会に、また別の物語としてお話しすることに
しましょう。


 それでは、2年以上にわたって連載してきた「ある地方議員後援会の理想と現
実」は、これで一応終わりにしたいと思います。

 長い間、辛抱強くお付き合いいただき、本当にありがとうございました。m(..)m

                            とものり

 名古屋のマンションに転居した僕は、会社の仕事と平行して、自分がやりたい
と考えていたデータ解析の仕事を試験的にやり始めました。そしてその仕事に何
とかめどが立ちそうだったので、会社の上司に1年後の早期退職を申し出ました。

 この頃は会社の仕事をほとんどやっていなかったので(^^;)、会社の業務で引
き継ぐことはたいしてありませんでした。しかし部署の人員計画は1年後を見越
して立てるので、それがスムーズに立てられるように、1年間の執行猶予を持た
せたのです。

 また、たまたまその翌年に勤続30年になり、特別休暇と旅行券を貰えることに
なっていたので、それをありがたく頂いてから退職しようという、セコイ考えも
ありました……というよりも、実際にはこっちの理由の方が大きかったんですけ
どね。(^^ゞ

 転居してしばらくの間は、元の土地の人から電話で質問や相談を受けたり、メ
ールをもらったりしていました。しかしそれもだんだんと間遠くなり、その土地
での出来事が僕の記憶から急激に薄れていき、何となく、はるか昔に見た夢の中
の出来事のように思えてきました。

 そこで、それらの記憶が忘却の彼方に過ぎ去ってしまわないうちに、何とか記
録を残しておこうと考え、この会議室に「ある地方議員後援会の理想と現実」と
題して、後援会活動に関する書き込みを始めることにしました。

                            とものり

 新町会議員には、仕事の都合で引っ越すことになったため、後援会を脱会した
いと申し出ました。そして、それまでに集めた自治会に関する資料を全て渡し、
自治会活動を通して知った色々な事柄を全て話しました。

 そして最後に、いつかは態度をはっきりさせ、自分の思い通りに行動するのが
一番良いと思うと再度助言しました。

 僕がいなくなることによって、新町会議員が色々と苦労するだろうことはわか
っていました。このため正直に言えば、同志を戦場の最前線に残して自分だけ退
却するような、そんな申し訳ない気がしました。しかし新町会議員ならば、何と
かなるだろうという気もしていました。

 それからもうひとり、僕が自治会活動を通して知り合った人の中で、尊敬して
いる人がいました。その人は長年にわたって地元の文化財保存会の会長をしてい
る人で、その人の努力によって、僕の地区の保存会は町で一番盛んになっていま
した。そしてその人は自治会の改革にも積極的だったので、色々な事柄について
相談し、助言してもらっていました。

 その人に対しては、やはり同志を戦場に残して自分だけ撤退するような、そん
な申し訳ない気がしていました。そしてその思いは、どちらかといえば新町会議
員に対する思いよりも強いものでした。

 人生の師と仰いだ二人の人物が相次いで亡くなり、その土地に対して思い残す
ことはほとんどありませんでしたが、唯一、その人に対してだけは、後ろ髪を惹
かれるような申し訳ない思いが残りました。

                            とものり

 そのふたりの死の間に、後援会の主催による本格的な当選祝い会がありました。
その時にはもう選挙後3ヶ月以上経っていたため、当選祝い会を堂々と開催する
ことができたのです。

 この会も、もちろん僕が司会進行役をしました。この時は後援会に対する熱意
が半分ほど醒めていたので、逆に気楽に楽しく司会をすることができました。そ
してこの時も、例によって食費だけ会費を集め、新町会議員がポケットマネーか
ら酒代を出すという方式でしたが、僕はほとんど気になりませんでした。

 人間、真剣さが薄れると、多少理不尽なことがあっても腹が立たなくなるもん
です。(^^;)

 それからしばらくして、名古屋の都心にちょうど手頃なマンションを見つけた
ので、早速、そこに転居することに決めました。カミさんの勤め先は名古屋の都
心なので、そこは僕の新しい仕事にとっても、カミさんの仕事にとっても都合の
良い場所だったのです。

 実は、最初に名古屋のマンションに転居するという案を考えたのはカミさんで
した。カミさんは都会で暮らしたことがないので、一度は都会暮らしを体験して
みたいと考えていたのです。このため、カミさんは都会暮らしが体験できるので
大喜びでした。

                            とものり

 そのふたりは、ひとりは地家の人であり、もうひとりは他の土地から移住して
きた新興住宅の人でした。しかし考え方がよく似ていて、しかも同じ年齢で同じ
ように自治会の改革を進めた人でしたので、非常に仲が良く、お互いに信頼し合
っていました。

 僕はそのふたりを勝手に人生の師と決め、自治会のことだけでなく、色々な事
柄について教えを乞い、敬愛していました。僕が行った自治会の改革は、そのふ
たりが中心になって進めていたことを継いだものであり、そのふたりに導かれ、
どちらかと言えばその人達に認められたくてやっていたようなところがありまし
た。

 そのせいか、そのふたりが亡くなったことにより、自治会と後援会に対する僕
の熱意は、憑き物が落ちたように急激に醒めてしまいました。そしてそのふたり
の死の間に、我が家の愛犬ブンも、犬としては長い生涯を終えました。

 偶然とはいえこの相次ぐ死は、まるで、この土地での僕の役目はもう終わった
から、そろそろ次の土地に移って次の目的を見つけろと、僕に決心を促している
かのようでした。

 そこで僕はついに住み慣れた土地を離れてフリーになる決心をし、名古屋の都
心のマンションを探し始めました。

                            とものり

 一方、区長の時、東海地震の勉強会に参加して、自分の家が非常に危ない状態
であり、早急に補強工事をするか、それとも建て替えなければならないことを知
りました。ところが、建物が立っている土地そのものが軟弱なため、いくら建て
替えても決して安全とはいえないこともわかりました。

 そこで色々と計算したところ、家を建て替えるよりも、その費用で丈夫な土地
のマンションを借りた方が安全で、しかも安上がりなことがわかりました。

 僕の顧客は名古屋の研究者が多かったので、会社を辞めてフリーになるとした
ら、名古屋の都心のマンションを借り、そこを事務所兼住居にするというのが便
利です。しかし地元の自治会と後援会活動のことがあったため、なかなか踏ん切
りがつかず、決断をズルズルと先延ばしにしていました。

 そんなこんなで公私共に岐路に立たされている時、思いもかけなかった事が起
こりました。自治会活動を通して知り合い、人生の師と仰ぐようになった尊敬す
べき人物が、突然亡くなったのです。これは僕にとっては、父親が死んだ時以来
のひどいショックでした。

 そしてさらにその数ヵ月後、やはり自治会活動を通して知り合ったもうひとり
の人生の師が、後を追うようにして亡くなりました。

                            とものり

 新町会議員がそのような岐路に立たされている時、偶然にも、僕も仕事の上で
岐路に立たされていました。

 区長を辞めた後、会社で区長の仕事をやりすぎたせいか、それとも元々悪徳窓
際幽霊社員だったせいか(^^;)、25年ほど所属していた部署から別の部署に転属
になりました。そして、それまでやってきたデータ解析の仕事がやりづらい環境
になりました。

 データ解析の仕事は、最初は会社の業務のために自分で開拓して始めた仕事で
す。ところがその仕事をけっこう気に入ってしまったので、会社の業務とは関係
のない分野にまで手を広げ、その分野での仕事はほとんど個人的にやっていまし
た。

 その結果、会社の業務としてデータ解析の仕事をするというよりも、データ解
析の仕事をするために会社を利用するという状態になっていました。しかし色々
な社会環境の変化によって、会社でデータ解析の仕事をすることが難しくなり、
転属によってさらに難しくなってしまいました。

 そこでデータ解析の仕事に専念するために、そろそろ会社を辞めてフリーにな
ろうと考え始めました。そしてちょうどその頃、会社に早期退職制度ができまし
た。その制度は55歳以上になると適用されないため、フリーになるとしたらここ
数年間がチャンスでした。

                            とものり

 そういったことをはっきりと認識した僕は、新町会議員に、こういうことは今
後も起こるだろうから、このままズルズルと言いなりになるよりも、いつかは態
度をはっきりさせる方が良いと助言しました。

 たとえそのことで今の後援会の幹部の人達と袂を分かつことになっても、自分
の信念どおりに行動して、それに賛同してくれる人達を草の根的に増やしていく
活動をすべきであり、それによって支持者が少なくなるのなら、それはそれで仕
方がないと助言しました。

 新町会議員もそういうことは十分にわかっていて、徐々にそのように行動する
ことを決心したようでした。しかし今の後援会の人達の協力で当選した以上、そ
の人達のためにできるだけのことをしながら、自分の信念を貫くべきところは貫
いて、自分なりの活動をしていきたいという考えでした。

 これもまた、折衷的かつ妥協的な方針ではあります。しかし僕が新町会議員の
立場だったとしても、おそらくそのような方針を取るだろうと思えたので、僕も
その方針に賛成しました。

                            とものり

 今回の選挙活動を通してあらためて実感したことは、「国は、その国民にふさ
わしい政府しか持てない」あるいは「地区は、その地区にふさわしい議員しか持
てない」ということです。

 選挙とは立候補者を試すものではなく、実は有権者を試すものなのです。しっ
かりとした見識を持ち、大局的な立場で物事を判断できるかどうかを問われてい
るのは、本当は有権者であって立候補者ではありません。

 会社でいえば、住民は株主であると同時にユーザーであり、政府は株主に任命
された取締役会に相当し、公務員は社員に相当します。株主は、会社が置かれた
社会環境と取締役の経営手腕を的確に評価して、会社にふさわしい取締役を任命
できるだけの目を持っていなければなりません。

 「民主主義とは、主にふさわしい民が行う政治である」というのが僕の昔から
の持論ですが、この持論は、このような住民=株主理論(^^;)に基づいています。

 政治家を見れば、その土地の住民のことがある程度わかります。だめな政府、
だめな政治家を選んだのは、結局のところ国民や住民なのです。主にふさわしく
ない政治家がのさばっていられるのは、主にふさわしくない住民が沢山いるおか
げです。

                            とものり

 しかし、いくら当選を確実なものにするためとはいえ、従来から行われている
政党・組織型に準じた地縁型選挙活動をベースにし、主義主張が異なるとわかっ
ていた人達の支持と協力を受けたのは大きな間違いでした。

 そういった人達の支持と協力を受ければ、当選後、その人達の言うことを聞か
なければなりません。そして今回のようなことがたびたび起これば、その人達の
言うとおりに動くロボットになるか、それとも自分の信念を通して、いずれはそ
の人達と袂を分かつことになります。

 その人達は、その人達なりに良かれと思って新町会議員に進言してくれている
のですから、当選したとたんに手の平を返したようにその人達を無視するのは、
やはりその人達に失礼です。それは、僕が忌み嫌う悪徳政治家(^^;)のやること
です。

 それよりも、僕のコーチをしてくれた選挙プロがアドバイスしてくれたように、
最初から住民参加型・草の根型の活動を中心にして、新町会議員の主義主張を真
っ正直に主張すべきでした。その主義主張に賛同してくれる人達が当選できるほ
ど多ければ、当然後、正々堂々と自分の信念どおりに行動することができます。

 賛同してくれる人達が少なく、当選できなければ、それはそれで仕方がありま
せん。そのような土地でいくら理想を叫んでみても、それを理解して協力してく
れる人がいなければ理想を追求することはできず、むしろ多くの住民にとってあ
りがた迷惑にしかなりません。

 やはり選挙プロの言うことは素直に聞くべきだったと、僕は今更ながらに反省
しました。

                            とものり

 僕等が選挙前に立てた作戦は、次のようなものでした。

・確実な当選と、地区をひとつにまとめるということを目標にすること。

・そのために、この地区で従来から行われている政党・組織型に準じた地縁型選
挙活動をベースにし、それによって元町会議員派の人達の支持と協力を確保する
こと。

・そしてできれば、反元町会議員派の中の革新的な人達の支持と協力も得られる
ように、必要に応じて住民参加・草の根型の選挙活動も組み合わせること。

・首尾良く当選した後は、後援会の内容を、地縁型をある程度残しつつ徐々に草の
根型に移行していき、元町会議員派と反元町会議員派を融合したような会にする
こと。

 この方針が妥協的でどっちつかずなものであることは、最初からわかっていま
した。そしてこの土地では、住民参加・草の根型の活動を行うことが非常に難し
いことも、自治会活動の経験を通してある程度わかっていたつもりでした。

 それがわかっていながら、あえてドン・キホーテのように無謀な選挙活動を目
指すことにしたのは、はっきりいって僕の天邪鬼的な性格のせいです。(^^)ゞ

                            とものり

 新町会議員は悩んだ末に、最終的には決議に賛成することにしました。しかし
元々真面目な人なので、そのことで今後の議員活動に対して疑問を感じるように
なりました。

 町長派と反町長派が拮抗している現在の町議会では、今回のようなことがこれ
からもしばしば起こるでしょう。そうなると、そのたびに町長と後援会幹部の顔
色をうかがわなければならないことになります。

 そもそも町長や後援会の幹部の人達のいうとおりにしか行動できないとしたら、
何のために議員になったのかわかりません。新町会議員は、そんな操り人形のよ
うなものになるために議員に立候補したのではなかったはずです。また僕にして
も、新町会議員がそんな情けない議員にならないように、新町会議員の後援会を
手伝うことにしたはずです。

 そういった悩みを打ち明けられた僕は、事ここに至って、ようやく選挙前に立
てた僕等の作戦が間違っていたことをはっきりと認識しました。

                            とものり

 我が地区の新町会議員は、本音としては今回の非常識な動議には反対でした。
しかし選挙で町長に応援を頼んだ上、町長を支持している特殊な政治団体の推薦
を受けたので、周囲からは町長派の議員と考えられていました。

 そして今回の動議をどうしても可決したい町長は、町長派の議員と日和見的な
中間派の議員、そして彼等の後援会に圧力をかけてきました。そして新町会議員
の後援会幹部の人達は、新町会議員がその決議に賛成するのは当然だと考えてい
て、新町会議員にもそのように進言しました。

 その結果、新町会議員は自分の信念を貫くか、それとも後援会幹部の人達の信
頼を裏切らないようにするかで、板ばさみになってしまいました。

 僕は、当然、新町会議員に自分の信念を貫くように助言しました。しかし新町
会議員の苦しい立場もよく理解できたので、何が何でも信念を貫くべきだとまで
はいえませんでした。

 「ある地方議員後援会の理想と現実−78」で説明した町長との裁判沙汰の時、
僕は元区長という気楽な立場だったので、自分の思ったとおりに行動しました。
しかし新町会議員の場合は僕ほど気楽な立場ではないので、自分の思ったとおり
行動するのは難しいかもしれないと感じたのです。

                            とものり

>ヨシミツさん

>>このたび、プロバイダをかえるのにともなって、
>>私のサイト「ヨシミツの部屋」を、しばらく閉鎖することにしました。
>>再開は来月中の予定です。

 あれ、そうなんですか!w('o')w それでは、しばらくの間、当館のリンクをはずし
ておきます。

>>この4月は、2人の子どもが、そろって社会人となります。

 それはおめでとうございます。\(^o^)/

 ウチの場合は、2人ともいつの間にか社会人になったので、はっきりした節目があり
ませんでしたね。

 2人とも高校を卒業した時に家を離れ、その後には僕等夫婦も家を離れてしまい、そ
れぞれ別々の土地で自分勝手に生活してます。このため、我が家族には「実家」という
概念がほとんどありません。(^^;)

                          とものり

378. しばしサイトを閉鎖してます 投稿者:ヨシミツ 投稿日:2007/03/03(土) 11:36:44
どうも。ヨシミツです。

このたび、プロバイダをかえるのにともなって、
私のサイト「ヨシミツの部屋」を、しばらく閉鎖することにしました。
再開は来月中の予定です。

という訳で、しばしリンクをはずして頂けないでしょうか >とものり さん

***
この4月は、2人の子どもが、そろって社会人となります。
今までWの仕送りをしていましたが、その分が、そっくり浮いて、それなりに余裕も出てきそうです。
(最新Macに更新したのも、そのおかげです/笑)

 ところがそれからしばらくして、新町会議員の決意を試すような出来事が起こ
りました。

 新町会議員の顔ぶれが決まり、最初の町議会が開かれた時のことです。断トツ
のトップ当選をした元町長の町会議員が、現町長の町政について鋭い質問を行い、
町政を色々と批判したのです。元町長がわざわざ町会議員に立候補した目的は、
現町長の批判をするためですから、これは十分に予想されていた行動です。

 何しろ現町長の前に町長をしていた人物ですから、町政の裏も表も知り尽くし
ています。そのため、それらの批判は痛いところをついているものばかりで、現
町長は鋭い批評をかわしきれませんでした。

 そこで現町長は元町長を議会から締め出そうと考え、町長派の町会議員にとん
でもない動議を提出させました。それは、元町長が議会をいたずらに混乱させて
いるので、元町長に議員辞職勧告をし、もし辞職しないのなら、議会で発言する
権利を剥奪するという動議です。(~o~)

 選挙後の町議会は、町長派と反町長派の議員の数が拮抗していました。このた
め少数の共産党議員と、日和見的な中間派の議員の動向によって、決議がどちら
に転ぶかわからない状態になっていました。

 そして当然のことながら、このとんでもない動議には、反町長派の議員と共産
党の議員が猛反対しました。その結果、その動議の採否は日和見的な中間派の議
員の動向如何にかかってきました。

                            とものり

 選挙が終わって2週間ほどした頃、例の特殊な政治団体の懇親会が行われまし
た。これは、その政治団体が推薦した僕の地区の町会議員と、隣の地区の町会議
員の当選祝いの会であり、選挙戦を争った2つの陣営の親睦会も兼ねたものでし
た。

 この会には、町長と県会議員が来賓として招かれていました。つまり縄張り争
いをした2つの組が、大親分の前で手打ち式を行ったわけです。(^^;)

 この時期は選挙の前後90日以内ですから、本来は打ち上げ会のようなものは開
くことはできません。そこで政治団体の懇親会ということにして、一応、会費を
徴収しました。しかしそれは実際には料理の代金だけであり、それとは別に2人
の新町会議員がポケットマネーから酒代を出していました。

 これが、この土地の典型的な後援会活動なのです。僕は、もちろんその会に出
席しましたが、そういったやり方を見ても今更驚きはしませんでした。そして新
町会議員と一緒に行う草の根活動は、こういったやり方とは正反対のものにしよ
うと決意を新たにしました。

 新町会議員も、今回、元町会議員の後援会幹部の人達や、特殊な政治団体の人
達と付き合ってみて、驚くことばかりで戸惑っていました。そしてその人達とう
まく付き合いながらも、できるだけ自分の信念を貫き、地区の住民の意見を吸い
上げて、新しいやり方に変えていきたいという考えを持っていました。

                            とものり

 これが地方政治の実態かと思うと、僕は腹が立つのを通り越して情けなくなっ
てしまいました。町会議員が住民の意見を吸い上げ、それを町政に反映するとい
う基本的で当たり前のことができないとは、情けないにもほどがあります。p(~~;)

 区長時代に町政の一端にかかわり、地方政治の前時代的な実態をある程度はわ
かっているつもりでした。しかし今回の選挙で町会議員の後援会活動に深くかか
わり、今更ながらに日本の民主主義の底の浅さを痛感しました。

 もちろん、日本中がこの町のような状態というわけではないでしょう。しかし
この町が非常に特殊な町というわけではなく、どこにでもよくある町のひとつに
すぎず、日本の多くの地方が似たりよったりの状態ではないかと思います。

 しかこの時は、まだあきらめていませんでした。いくら後援会の幹部がその気
でも、新町会議員と一緒に独自に小集会活動を行い、草の根活動を続けて住民の
声をできるだけ吸い上げたいと考えていました。

 そして新町会議員もそのつもりでいて、僕と一緒に活動することを約束してく
れました。

                            とものり

 議論の結果、残念ながら僕の案に賛成する人はおらず、一般会員から会費は徴
収せず、役員だけから会費を徴収するという意見が大勢を占めました。そこで僕
は、それならばそれを執行部案としてまとめ、役員会を開いて意見を聞き、正式
に決議をするべきだと提案しました。

 しかし元町会議員後援会の幹部の人達は、役員全員から徴収するということを
正式に決定すると、強制的になってしまい役員の負担が大きくなるので、役員を
中心にした有志から寄付金を集めることにして、役員会は開かない方がいいとい
う意見でした。

 そして最終的にはその意見が通り、今回の選挙でかかった費用を賄うために必
要な金額だけを、有志から寄付してもらうということになりました。要するに、
従来から行ってきた方法をそのまま行うことになったわけです。(~o~)

 その結果、僕が考えるような後援会活動を継続的に行うことは、事実上、不可
能になってしまいました。そして元町会議員後援会の幹部の人達が、そのような
活動を行う気がないことは明白でした。

 後援会幹部の人達がこんな考えでは、町会議員は後援会の幹部の意見だけを聞
くことになり、できるだけ多くの住民の声を吸い上げて、それを町政に反映する
ということなどできるはずがありません。(~_~)

                            とものり

 後援会とは、本来は議員の政治活動を支援するためのものであり、選挙活動を
するためのものではないはずです。僕は今回の選挙が無事に終わったら、後援会
活動のやり方をできるだけ理想に近い方向に変えてやろうと決心していましたが、
それが予想以上に困難なことであることをあらためて認識しました。

 それでもここで怯んでいては始まらないので、新町会議員が住民の声を吸い上
げ、それを町政に反映できるように、今後は後援会活動を継続的に行うこと、そ
して会員の自覚を促すために、できるだけ多くの会員から会費を徴収することを
強く提案しました。

 しかし元町会議員の後援会幹部の人達は、一般会員のことなどは最初から眼中
になく、役員から会費を徴収するかどうかだけを問題にしました。そして会費は
徴収しない方が良いという意見と、役員だけから会費を徴収する方が良いという
2つの意見が出ました。

 当然、これらの意見に僕は反対し、喧々諤々の激しい議論になりました。新町
会議員はもちろん僕の案に賛成でしたが、後援会のことに議員が口出しすべきで
はないので、黙って成り行きを見守っていました。

                            とものり

 選挙後、最初に開かれた幹部会で、僕はこの案を提案しました。ところが意外
なことに、元町会議員の後援会幹部だった人達はこの案に難色を示したのです。

 そして驚いたことに、従来は後援会で会費を徴収したことはなく、後援会の活
動費用は、町会議員のポケットマネーと、幹部を中心にした有志の寄付金で賄っ
ていたことがわかりました。

 といっても、実際には後援会は選挙の時しか活動を行っておらず、事実上、有
名無実なものだったので、選挙の時以外に活動費は発生しなかったのです。

 元町会議員の後援会幹部だった人達にとって、後援会の役員が会員全体であり、
一般会員のことはほとんど眼中に無いということは、後援会発足時によくわかっ
ていたはずでした。実際、その人達は、僕が苦労して作った後援会の一般会員名
簿は、選挙運動中も選挙運動後も見ようともしません。

 しかし、その人達がそこまで一般会員のことを無視していて、選挙が終われば
後援会活動をする気など全くないということを知り、今更ながらにあきれてしま
いました。(~o~)

                            とものり

 最終的に、後援会の経費として処理したのは約10万円程度でした。これは全て
候補者か選挙スタッフが立て替えていたので、それを後援会の会計から支払うこ
とにしました。

 ところが後援会の会計はその時まで動いておらず、後援会の会計役は、事実上、
選挙運動の会計補佐として働いていました。そこで僕は、後援会の会計役の人と
相談して、後援会の会計処理を一緒に行うことにしました。

 後援会の経理に関しては、会費制ではなく、必要に応じて会費を徴収し、それ
と有志の寄付金で運営するという規約にしてありました。しかしその時はまだ後
援会の収入は全くありませんでした。

 そこで、とりあえず会計役の人が後援会の経費を全て立て替えておき、これか
ら会費と寄付金を募ることにしました。

 その時点で後援会会員は約500名ほどいました。しかし中には名前だけの会員
もいるでしょうから、全員から会費を徴収するというのは現実的ではありません。

 そこで半分程度の人から会費を徴収できると仮定して、会費として500円を徴
収することにしました。後援会の役員は約50名いるので、その人達が平均して5
名の人から500円の会費を集めればいいことになります。これは、それほど無理
なことではないと思えました。

                            とものり

 選挙運動と後援会活動の区別がけっこう難しいため、選挙運動の経費と後援会
の経費の区別も、シロウトにはかなり難しいところがあります。

 原則として、選挙運動期間以外に行った活動は全て後援会活動になるので、そ
の活動費は後援会の経費になります。ただし選挙運動に使用する七つ道具は選挙
期間の前から準備し、その経費は選挙用になります。

 例えば選挙ポスターと選挙用看板、そして選挙用の推薦ハガキは選挙期間の前
から準備します。しかしそれは選挙期間しか使いませんので、経費は選挙運動の
経費になります。

 ところがそれと同じ時期に、同じ業者に依頼して作成した後援会用のポスター
と看板、そして後援会入会用のリーフレットと、後援会会員に出した出陣式の案
内ハガキは後援会の経費になります。

 また事務処理用の文房具は、後援会でも選挙運動でも同じものを使い回ししま
した。このため、全て後援会の経費で処理しました。

 どちらの経費で処理すれば良いのか迷ったのは、出陣式と打ち上げ会で目入れ
をしたダルマでした。これは選挙用ですが、選挙運動ではなく儀式ですから、結
局のところは後援会の経費で処理しました。(^^;)

                            とものり

>ヨシミツさん

>>旧 Mac からLANを使い、いろんなデータを移送し、
>>最新iMac 購入後、今日までの2週間ほどで、
>>ようやく、旧 Mac を片付けることができました。

 それはご苦労様でした。僕は昨年の4月にフリーになった時と、ベンチャー会社を手
伝うことにした時、コンピュータ環境を大幅に変えましたよ。ですから、昨年はコンピ
ュータ環境の調整ばかりしていたような気がします。(^^;)

>>Windows の方は、Vista の登場で話題なところですが。

 僕は例によってまだ様子見といったところですが、Vistaはどうなんでしょうねぇ?

                           とものり

368. PC環境、激変しました 投稿者:ヨシミツ 投稿日:2007/02/12(月) 23:11:36
>とものり さん
ご無沙汰してます。ヨシミツです。
今年は、暖冬ですね。
そのくせ(?)インフルエンザがはやってて、たいへんです。

***
さて、私のPC環境が激変しました。
先月、今までの PowerMac にかえて、
最新のiMac(インテルMac)を購入しました。

OSでいえば、8.6からX(10.4.8)。
CPUが215Mだったものが2.33G。
同時に、一気に外付けHDDやら、プリンタやら、スキャナやら…、
さらに、Office などのソフトをインストールして、
一切を更新しました。

旧 Mac からLANを使い、いろんなデータを移送し、
最新iMac 購入後、今日までの2週間ほどで、
ようやく、旧 Mac を片付けることができました。

Windows の方は、Vista の登場で話題なところですが。

 さて、以上のような方法で選挙費用の整理を行い、何とか選挙運動表収支報告
書を作成しました。そして締め切り前に、無事に町役場(選挙管理委員会)に提出
することができました。

 選挙運動表収支報告書を提出する時、町役場の担当者から内容について色々と
質問されます。これは別に内容を疑っているわけではなく、基本的に確認のため
の質問なので、できるだけ正直に答えるようにします。

 今回は僕はあくまでも裏方なので、町役場には同行せず、後から首尾を聞きま
した。その結果、特に問題なくすんなりと受け取ってもらえたということでした
ので、まずは一安心しました。

 こうして、選挙費用の整理は無事に終わりました。しかし、後援会の会計の整
理というやっかいな仕事がまだ残っていました。

                            とものり