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No.855 - 904 / 50 件表示


○昭和20年代…農地改革と神社の宗教法人化

 明治後期から昭和初期の第二次世界大戦前まで、神社の状態は変わりませんで
した。

 神社の状態が変わるのは江戸時代初期、明治初期、そして第二次世界大戦にお
ける日本の敗戦後であり、時代の大きな変革期に相当する時期です。

 これは昔から政治と宗教が密接に結びついていることと、神社が民衆の生活に
深く根付いていることを反映しています。

 さて、昭和 22年(1947年)の農地改革に関連して、村持の共有地が町有地に名義
変更されます。その結果、宮田は町有地になりました。

 また昭和27年(1952年)に制定された宗教法人法により、村社・神明社は宗教法
人・神明社になり、神社の境内と参道は神社名義になります。

 この時、境内に隣接する宮田が半分ほど埋め立てられ、境内が2倍くらいの広
さに拡張されました。これは、宗教法人としての体裁を整えることが目的だった
と思います。

 ただしこの時、土地の名義は全く変更されませんでした。

 当時の人達はお互いの口約束だけで事足りていて、面倒な書類上の名義変更な
どはあまり気にかけていなかったのでしょう。(←これは、現在でもしばしばあ
ることです。(^^;))

 そのため境内の半分くらいの土地は町有地であり、登記上の地目(不動産登記
法上の土地の用途による分類)は「田」のままでした。

 先代の宮司さんが神社庁に届けた神社の見取り図(境内と参道)は、時期的にも
形状的にもこの時期の神社と一致します。

 しかし当時の人達は、宗教法人化前と同様に、神社の境内と参道に宮田を合わ
せたものを”おらが村の神社 (^^;)”の範囲と捉えていたと思います。

                   続きます     とものり

>通りすがり(^^;;さん

>>面白い顛末記ですね(^^;;
>>今後の展開に期待。。

 ありがとうございます。本題はこれからですから、乞うご期待です!(^o^)/

>>ご存知だと思いますが、土地の過去を遡る場合は、法務局の登記閉鎖簿などだけでは
>>×で、市町村の役所、地元の旧家や公民館などが保管している土地宝典、地籍地図を
>>利用する場合もあります。

 もちろん、それらの資料は全て調査しましたよ。v(^_-)

 町役場の役人は、懸案だった神社の土地問題を解決するための調査だと知ると、全
面的に協力してくれ、どのような資料を調査すれば良いのか助言してくれました。

 また氏子総代さんと長老Tさんはこの地区を作った庄屋と惣代の子孫ですから、ま
さに地元の旧家です。

 僕はこの人達の代理として調査していましたし、興味本位の調査ではないことがわ
かっていたので(本音を言えば、半分は僕の興味でしたけど…(^^;))、この二人を始め
として地家の人達は余所者には決して見せない資料を喜んで見せてくれました。

 地元の公民館は管理者の許可がなければ入れず、その資料室には昔の住民台帳など
が保管されているため地元の区長しか入れません。

 この時の区長は僕自身σ(^^;)であり、公民館の管理者を兼ねていたので、保管さ
れていた資料を調査しました。

 実は僕が区長になった時、最初に公民館の資料の棚卸しを行い、それらを年代順に
並べてファイルに整理し、地元の歴史を徹底的に調べたのですよ。(^o^)v

 それ以外にも、神社に保管されている門外不出の資料や、拝観厳禁の御神体までこ
っそり見ました。

 この神をも恐れぬ所業の罰が当たり、その後、会社でさらに窓際に追いやられるこ
とになってしまいましたけどね。(^^;)

                            とものり

902. Re[899]:お宮さん騒動顛末記−12 投稿者:通りすがり(^^;; 投稿日:2010/07/12(月) 23:46:15
ご無沙汰しています。
面白い顛末記ですね(^^;;
今後の展開に期待。。

PS
ご存知だと思いますが、土地の過去を遡る場合は、法務局の登記閉鎖簿などだけでは×で、市町村の役所、地元の旧家や公民館などが保管している土地宝典、地籍地図を利用する場合もあります。

○明治後期…神社が村社・神明社になり、土地を神社名義に変更

 明治元年(1868年)の神仏分離令によって、それまで合祀されていた神道と仏教
が分離されます。そしてさらに明治政府は色々な流派の神道を国家神道に統合し、
国家で管理することにします。

 これは明治政府の政教一致政策に基づくもので、天皇を中心とした皇国史観を
民衆に広めるための政策でもありました。

 しかし当時の全国各地の神社は膨大な数(約20万社)であり、その起源も祭神も
様々だったため、管理しやすいように神社を統廃合して数を減らそうとします。

 ところが何しろ数が多かったため、そのための調査に非常に時間がかかってし
まい、明治39年(1906年)の神社合祀令によって、ようやく神社の整理が本格的に
始まります。

 この神社整理事業によって、全国の神社は原則として一町村一社に統廃合され
ます。

 その結果、この地区の神社は村社・神明社になり、境内と参道が村持から村社
名義に変更されました。ただし宮田は名義変更されず、村持の共有地のまま残さ
れました。

 国家が管理する神社はあくまでも境内と参道だけであり、宮田は地元に管理さ
せたのでしょう。

 しかし当時の村人達は、わけのわからない法律上の名義は無視して、神社の境
内と参道に宮田を合わせたものを、慣習的に”おらが村の神社(^^;)”の範囲と
捉えていたと思います。

                   続きます     とものり

○明治中期…神社の村共有地を村名義または個人名義に名義変更

 明治中期になり、村が「村持」という村名義の土地を所有できるようになった
ため、神社の惣代名義の村共有地が村持に名義変更されます。

 この時、宮田の一部(参道の両側にあった宮田)は個人名義に変更されました。
その個人はK左衛門の子供でした。

 おそらく宮田は元々はK左衛門の祖先が自らの田を提供したものであり、この
時、K左衛門はその一部を自分の子供に相続させたのだと思います。

                   続きます     とものり

 さて、僕の執念と邪念(^^;)の調査の結果、神社は次のように変遷してきたこ
とがわかりました。

○江戸時代〜明治初期…神社は村の共有物

 神社の土地の所有権に関する最も古い記録は、僕が調べた限りでは、法務局の
閉鎖登記簿(効力を失った登記簿)から見つけ出した江戸末期の登記簿です。

 その登記簿には、神社とその周囲にある宮田(神社に付随する田で、祭事など
で使用する米を栽培するためのもの)の手書きの見取り図が記載されていました。

 そしてそれらの土地は村の惣代であるK.K左衛門(仮名)名義になっていて、見
取り図の横に本人の自筆の署名と花押が記されていました。

 そのK左衛門は新田開発時の惣代の子孫であり、長老Tさんの4代ほど前の祖先
に相当します。

 この当時の法律では村が土地や物を所有することはできず、村の共有地や共有
物は村の代表者である惣代名義にしていました。

 したがって神社の土地と宮田は村の共有地であり、神社そのものも村の共有物
でした。

 その見取り図によると、当時の神社の境内は現在の半分くらいの大きさで、そ
の代わり現在の倍ほどの長さの参道が付いていました。

                   続きます     とものり

 ちなみに津島神社には「建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡った時、荒魂
(あらたま、神の荒々しい魂)は出雲国に鎮まったものの、和魂(にぎたま、神の
優しい魂)は対馬(旧称は津島)に鎮まり、その後、尾張国の津島に鎮まった」と
いうエピソードが伝えられています。

 建速須佐之男命の象徴である草薙の剣が熱田神宮に祀ってあり、対馬の旧称で
ある「津島」という土地に、建速須佐之男命を祭神とする津島神社が存在するこ
とは決して偶然ではなく、古代における尾張地方と出雲地方の結びつきの強さ表
しているのではないかと思います。

 ……といった個人的な趣味の話はさておき(^^;)、僕が調べた限りでは、残念
ながら新田開発当時の地区の古地図はなく、江戸時代後期の古地図しかありませ
んでした。

 その古地図には20軒ほどの農家と神社、そして田畑と用水と溜池が記されてい
て、神社は現在と同じ場所にありました。

 その場所は当時も現在も地区のほぼ中央ですから、創建同時から神社は同じ場
所にあったのでしょう。

 氏子総代さんと長老Tさんにその古地図を見せたところ、地区の様子は、伊勢
湾台風の前まではその古地図とほとんど変わっておらず、古地図に記された家が
今の誰の家に相当するのかだいたいわかるとのことでした。w('o')w

                   続きます     とものり

 当時、新田開発の際に、伊勢神宮の御札(神符)を祀って神明社(神明神社)を創
建することが盛んに行われていました。

 僕の地区の神社も神明社であり、新田開発の時に創建されたものと考えられま
す。

 面白いことに、新田開発を行ったC右衛門と村人達は市腋島の出身であり、津
島神社の氏子だったようです。

 そのため正月などの改まった時には津島神社に参拝に行ったらしく、現在でも
正月に地家の人達が揃って津島神社に参拝に行く慣わしがあります。

 区長の時、僕もそれに同行して長老から色々と昔話を聞きました。長老の話で
は、祖先が市江村の出身だから、昔から正月にはこうして祖先の氏神様にお参り
する慣わしがあるとのことでした。

 津島神社は建速須佐之男命(スサノオノミコト)を祭神とする出雲系の神社であ
り、神明社は天照大神(アマテラスオオミカミ)を祭神とする高天原系の神社です。

 これら2系列の神社は注連縄の向きや参拝時の作法など、細かいところで少し
相違があります。

 そのせいか地区の神事やお祭りの時、指導役の長老が代わると言うことが異な
り、神事やお祭りの手伝いをする人達が戸惑ってしまうことがけっこうありまし
た。(^^;)

                   続きます     とものり

 そのような新田開発が盛んだった慶長(1596〜1615年)の頃、清洲からやってき
たH.S太夫(仮名)という浪人が市腋島に住みつきます。彼は大の仏信者で、村人
にも慕われ、市腋島に寺を建立したりしました。

 彼の子のK兵衛(仮名)は、村人達が十四山の中のひとつの島を開墾して新田を
作りつつあるという話を聞き、寛永7年(1630年)に尾張藩の許可を得て、村人の
有志と共にその島で本格的な新田開発を行います。

 さらにK兵衛の子のC右衛門は、村人の有志と共にその島に移住して新田大将
(庄屋)となり、村人の惣代(総代)と協力して新しい部落を作ります。

 それが僕の住んでいた地区「S新田(仮名)」の始まりです。

 そしてC右衛門の子孫が、お宮さん騒動の時の氏子総代さんであり、村人の惣
代の子孫が地区のもうひとりの長老であるTさん(仮名)です。

 Tさんの家は代々町会議員や区長を務めていて、地家の3分の1ほどがTさんの一
族であり、全て苗字が同じです。

 これは田舎ではよくあることで、ひとつの地区の住人が全て同じ苗字というこ
とも珍しくありません。(^^;)

 僕の地区の周囲にはこのようにして開拓された地区が多く、その名残が「○○
新田」という地区名として残されています。

                   続きます     とものり

 ……夜陰に市腋といふ處に泊る。前を見おろせば、海さし入りて、河伯の民、
潮にやしなはれ。市腋をたちて津島のわたりといふ處、舟にて下れば尾張の國に
移りぬ。……

 と鎌倉時代の古文書に記されたように、江戸時代以前の海部郡は津島(現在の
津島市)、市腋島(後の市江村、現在の愛西市南部と弥富市北部)といった島々が
点在する海でした。

 ところが天正13年(1586年)、現在の岐阜県北西部を震源とするマグニチュード
8クラスの大地震(天正大地震)が発生し、その影響で市腋島の東南海上の所々に
砂丘ができます。

 やがてその砂丘を海岸民が開墾して新田を作り、輪中の島を形成します。そし
てそれらの島々は主なものが14個ほどあったところから、十四山(後の十四山村、
現在の弥富市)と呼ばれるようになります。

                   続きます     とものり

 氏子総代さんと宮司さんから詳しい話を聞いた僕は、次に神社の土地の所有権
の推移と、地区の歴史を徹底的に調べることにしました。

 そのために歴代の氏子総代さんと歴代の区長さん、そして地区の長老から話を
聞き、団地を作った不動産屋と建設業者を探し出して昔の資料を調べてもらい、
町役場と県の法務局に通って資料を調べ、図書館の郷土資料室にも通って古文書
と古地図を調べ、ありとあらゆる手づるを使い、残された資料と痕跡をたどって
地区と神社の歴史を遡れるだけ遡って調査しました。

 それはちょうどアリバイ崩しテーマの推理小説で、犯人のアリバイを崩すため
に探偵が足を使って徹底的な調査をすることに似ていて、僕はその調査をけっこ
う楽しんでいました。v(^o^)

 元々物好きで区長を引き受け、物好きでこの騒動に首を突っ込むことにしたの
ですから、何事も楽しんでやった方がいいに決まっています。

 それに地味で面白味のない自治会の仕事や町の仕事よりも、こういった込み入
った問題の謎を探る方がよっぽと面白かったりしたのです。

 その執念と邪念(^^;)の調査の結果、江戸時代初期から現代までの地区の歴史
と神社の変遷がわかり、お宮さん騒動の原因をほぼ解明することができました。

                   続きます     とものり

 お宮さん騒動の問題点に気付いた時、僕はどこかでこれと同じような問題が起
こっていたことを思い出し、図書館で過去の新聞を調べてみました。(この頃は
まだインターネットが発達していなかったので、図書館で調べるしかなかったの
です(^_-))

 その結果、やはり宗教法人法の一部改正のせいか、あちこちで同じような問題
が起こっていて、裁判沙汰になったところまであることがわかりました。

 氏子総代さんは頭が痛い問題だとは思っていても、裁判沙汰になるほどの重大
問題だとは思っていませんでした。

 しかし地家の人達だけ住んでいる地区ならあまり問題にはなりませんが、僕の
地区のように地家の人達と新興住宅の人達が混在しているところでは、このこと
が公になれば問題になる可能性が高いと思われました。

 何しろ新興住宅の人達は地元の神社の氏子ではなく、別の宗教を信奉している
人もいれば、第二次世界大戦前の国家神道にうんざりし、こういった政教一致の
名残に拒否反応を示す人もいます。

 そこで僕はそのことを氏子総代さんに説明し、とりあえず関係者に箝口令を敷
いてもらいました。

 そして区長である僕は表立って活動できないので、隠密裏に行動し、表向きは
全て氏子総代さんの活動成果にすることにしました。

 当時の僕は天下御免の”悪徳窓際幽霊社員”でしたから、この隠密行動はいか
にも僕に相応しいやり方でした。v(^^;)

                   続きます     とものり

 1番目の町有地の問題点に対する対応策としては、とりあえず次のようなもの
が考えられました。

1-1.神社と町との間で土地の賃貸契約を結び、賃貸料を支払う。
  ことによると、町有地を使用し始めた時期まで遡って賃貸料を支払う必要
  があるかもしれない。

1-2.町有地を神社が買い取る。

1-3.神社の境内は玉垣で囲まれているが、その玉垣の範囲を神社の土地の範囲だ
  けに作り直す。

 しかし地元の神社の財政状態(年間収入50万円程度)を考えると、これらの対応
策はどれも不可能に近い難事でしたから、氏子総代さんが困ってしまったのも無
理はありません。(~o~)

 2番目の私有地の問題点については、相手が地家の人だったので何とかなると
考えられましたし、既に相手が協力を約束してくれていました。

 3番目の公園の問題点については、とりあえず次のような対応策が考えられま
した。

3-1.公園の遊具を撤去し、事故の危険性を減らす。

3-2.公園部分の土地を神社から町に寄付して町有の公園にし、遊具を修理しても
  らう。

 これらはどちらも宮司さんと氏子総代さんが納得してくれれば、実現できそう
な対応策と思われました。

 ところがその後、この公園問題は思ったよりも複雑怪奇な問題だということが
わかり、対応に苦慮することになります。

 そして幸か不幸か、この公園問題こそがお宮さん騒動のキーポイントであり、
この問題の解決がそのままお宮さん騒動全体の解決につながることになります。

                   続きます     とものり

 お宮さん騒動に首を突っ込むことにした僕は、まず氏子総代さんと宮司さんか
ら詳しい話を聞きました。そしてこの騒動には、次のような重大な問題点がある
ことを理解しました。

1.特定の宗教法人が町有地を(長期間?)無断・無料で使用している!

 これは、明らかに政教分離の原則(憲法20条と89条で規定)に反しています。

2.特定の宗教法人が私有地を(長期間?)無断・無料で使用している!

 これは1番目ほど重大な問題ではないものの、相手によっては重大な問題にな
る可能性があります。

 さらに僕は、氏子総代さんも宮司さんも気付いていなかった問題点に気付きま
した。

 神社の境内は玉垣に囲まれていて、その前に短い参道があります。そしてその
参道の左右に小さな公園があり、滑り台などの遊具が設置されていました。

 その公園は神社の周囲にあるS団地(仮名)に付属した公園であり、町が管理し
ていると誰もが思っていました。

 ところが登記簿謄本によると、その公園の土地は神社の所有地であり町有地で
はなかったのです。そのため、次のような問題が発生します。

3.神社の所有地に公園があるため神社に管理責任がある!

 実は、公園の遊具はかなり古くて傷んでいるため、団地の住人から「子供が遊
具で怪我をするといけないので、町に修理してもらいたい」という意見が出てい
ることを、区長になる前から知っていました。

 そこで区長になった時、早急に町に修理を依頼しようと考えていました。

 しかし公園が神社の所有地にあるとなると、当然、神社に管理責任があり、も
し遊具で子供が怪我をした場合、神社が損害賠償等の対応をしなければなりませ
ん。

 これはけっこう重大な問題です。(~o~)

                   続きます     とものり

 僕が区長になった時、前任者からの引継ぎ事項の中にこの神社の土地問題があ
りました。

 そして前任者は「もし宮司さんから話があったら、”この問題は氏子総代が解
決すべき問題であり、政教分離の原則から、特別公務員である区長が手を出すこ
とはできない”と答えた方が良い」とアドバイスしてくれました。

 これは、この問題が発覚した時の区長さんが氏子総代さんから相談された時に
答えた逃げ口上(^^;)であり、それがそのまま代々の区長に引き継がれているよ
うでした。

 この問題を知った時、この問題に取り組むには「お宮さん騒動顛末記−2」に
書いた4つの条件を備えている必要があることがすぐにわかりました。

 そして、僕が4番目の「物好き」という条件を十二分にクリアしていることに
は自信がありました。p(^^;)

 また1番目の「地元の歴史に詳しい」という条件については、区長を引き受け
ることにした後、とりあえず地元の歴史を調べてみようと思い、歴代の区長経験
者や地元の長老から色々と話を聞き始めていたので、この条件をクリアできる可
能性があることがわかりました。

 さらに3番目の「土地の登記や権利等に詳しい」という条件については、建売
住宅を購入した時とおやじさんが死んだ時に土地の登記や名義変更などをしたこ
とがあり、土地の登記や権利についてどこで何を調べれば良いのか、どんな所に
相談すれば良いのかといったことだけは知っていたので、この条件もクリアでき
る可能性があることがわかりました。

 最後に2番目の「神社の事情に詳しい」という条件については、神社関係のプ
ロである我らがNEGI長老という非常に心強いパソ通仲間がいたので、この条件は
クリアできる確信がありました。

 他の条件はともかく、この2番目の条件と4番目の条件をクリアできるのは僕以
外にはめったにいないだろうと思い、僕はこの問題に取り組む決心をしました。

                   続きます     とものり

 棚上げ状態とは言うものの、神社の責任者である宮司さんは、毎年、区長が代
わるたびに、神社の土地問題を早急に解決して欲しいと新任の区長に依頼してい
ました。

 しかし新任の区長は山ほどある自治会の仕事と町の仕事をこなすだけで精一杯
であり、地家の長老である氏子総代さんでさえ手に負えないこんな問題にかかず
らう余裕は全くありませんでした。

 この問題に手を出すには、

 1.地元の歴史に詳しい
 2.神社の事情に詳しい
 3.土地の登記や権利等に詳しい

という条件を備えていて、さらにその上で、

 4.やっかいな問題にやたらと首を突っ込みたがる物好きである(^^;)

という条件を備えた人物が必要でした。もちろん、そんな人物がおいそれと存在
するはずはありません。

 ところが2000年(平成12年)、この条件の中の4番目の条件だけを目一杯備えて
いる人物が、ひょんなことから区長になりました。

 その物好きな人物が、誰あろうこの僕でした。σ(^^;)

                   続きます     とものり

 事の起こりは、1995年(平成7年)に宗教法人法が一部改正され、宗教法人の明
細を証明する各種の公式書類を所轄庁に提出することが義務付けられたことでし
た。

 例えば、それまでは神社の所有地などは簡単な見取り図を提出するだけで良か
ったところを、正式な登記簿謄本を提出する必要が出てきたのです。

 そこで地元の神社の宮司さんに依頼されて、氏子総代さんが法務局から登記簿
謄本を取り寄せたところ、神社の境内と参道の中に町の所有地と個人の所有地が
あり、しかも境内と参道の大きさと形が、先代の宮司さんが神社庁(地区の神社
を包括する組織)に届けていた見取り図と食い違っていたのです。

 驚いた氏子総代さんは、とりあえず神社の簡易測量を行って正確な現状を把握
するとともに、歴代の氏子総代さん達や歴代の区長さん達に事情を尋ねました。

 しかし関係者の多くが故人になってしまっていて経緯がわからず、良い対応策
は見出せませんでした。

 氏子総代さんは町会議員や町役場にも対応策を相談しましたが、経緯もはっき
りしないし、政教分離の原則から、町役場としては対応のしようがないとのこと
でした。

 しかしこのことが公になると非常に問題なので、今後も地元と町役場が相談し
ながら対応策を検討していくということにしたものの、実際には棚上げ状態のま
まになっていました。

                   続きます     とものり

887. Re[886]:お宮さん騒動顛末記−0 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/25(金) 16:15:24
>とものりさん
>> この問題には色々とデリケートな面があり、あまりおおっぴらにはできないこ
>>とが多いので、ここだけ(←どこのことだぁ!?(~o~))の内輪話ということにして、
>>”使用上の注意をよく読み、誤用を避け、用法用量を守り、副作用に注意して(@
>>NEGI長老)”、神罰を受ける覚悟のある方だけこっそりとお読み下さい。(^_-)

・・・・・・・ゴクリ。
                NEGI

 NEGI長老が傑作な旅行記をアップしてくれましたので、返礼として、かねがね
約束していたお宮さん騒動の顛末をアップすることにします。(^o^)/

 以前、僕が住んでいたT町(仮名)で区長(自治会長兼町政協力特別公務員)をや
っていた時、地元の神社で厄介な問題が持ち上がりました。

 その時、その問題の解決法を我らがNEGI長老に相談し、色々と骨を折っていた
だいたので、問題が解決したらその顛末をお話しすると約束していました。

 そして昨年末、ようやくその問題が解決し、そろそろほとぼりも醒めた頃なの
で、その顛末をお話したいと思います。

 この問題には色々とデリケートな面があり、あまりおおっぴらにはできないこ
とが多いので、ここだけ(←どこのことだぁ!?(~o~))の内輪話ということにして、
”使用上の注意をよく読み、誤用を避け、用法用量を守り、副作用に注意して(@
NEGI長老)”、神罰を受ける覚悟のある方だけこっそりとお読み下さい。(^_-)

                            とものり

>NEGIさん

>>それを思えば、娘さんのなんという強靭な消化器官、なんという強力な免疫機構で
>>ありましょうか、とものり一族以外の日本人はその内に絶滅する可能性があります
>>ぞ。

 下の娘は一人でネパール旅行に行ったことがあり、そこでも下痢はせず、しかも顔
立ちと服装と行動パターンから現地人と間違われたそうですよ。

 でも牧場研修で牛の世話をし、牛のフンが付いた手でお菓子を食べた時だけは、さ
すがに下痢をしたそうですけどね。(^^;)

 上の娘は野生よりも都会が性に合っているらしく、弱肉強食の東京砂漠でチカンや
ストーカーの牙をかいくぐり、オジサンをころがしながら逞しく生きているようです。

 こっちは生物多様性生活環境というよりも、人類多様性生活環境といったところで
しょうか。(^^;)

 そういえば栄でやっていた何かのお祭りで、ケバブとトルコアイス(ドンドゥルマ)
を食べたことがありますよ。

 日本で売っているものは、やっぱり日本人向けになっているんでしょうね。オース
トラリアやニュージーランドやアメリカで売っていた日本料理は、どれも現地向けの
怪しいものになってましたもんね。(^^;)

                          とものり

884. Re[881]:[879]:エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/18(金) 07:18:20
>とものりさん

>> 実は下の娘の新婚旅行先がトルコで、例のサバサンドを食べたそうです。んで、生
>>物多様性生活環境で鍛えられた娘は、サバサンドでも水でもやはり下痢はしなかった
>>そうですよ。v(^^;)

 う-む、とものり家の育児方針の先進性には恐れ入りますな。
 
 ホテルの蛇口には”Not drinking water”と思いっきり書いてあるんですがね。

 やはり、人間と言うものは取り敢えず目一杯の免疫、抵抗性、生命力を身につけ、その上で神のご加護をお祈りするのが、正しい生き方なんですね。

 同じグル−プの他の方に聞いた話なんですが、やはり息子が新婚旅行にトルコへ行き、腹を下してほとんど死んで帰ってきたそうですよ。

 それを思えば、娘さんのなんという強靭な消化器官、なんという強力な免疫機構でありましょうか、とものり一族以外の日本人はその内に絶滅する可能性がありますぞ。

 私の所でも二番目の息子が、エジプトで「ファラオの呪い」に罹り、それをトルコまで引きずって旅行中ほとんど死んでましたよ。

 私は、往きのエジプト航空で冷房が効きすぎ、おかげで冷え腹になりましたがね。

   NEGI 下ネタは盛り上がるw

883. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間エピロ−グ 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/17(木) 13:30:03
 最近、私が住む中部地方のとある大都市で、そこで一番大きく立派な神社の東門の
前に、”ドネルケバブ”の店を発見した。

 ドネルケバブは、スライスした、どちらかと言えばあまり上等じゃない肉を、大
量に串に刺して側面から焼き、焼けた所を大きな刀で削ぎ切りにした物で、普通、
野菜とともに薄いパンに挟みソースをかけ、ドネルサンドとして食べられているよ
うだ。

 トルコで食べたことはあるのだが、もっと上品に食べたのみで、ドネルサンドは
初めてなのだ。

 経営者はトルコ人らしく、何時見てもヒマそーにしてる。

 店に入って試しに「メルハバ」と言ってみた。

 最初怪訝な顔をしていたが、もう一度繰り返すと急に笑顔になった、

 勿論日本で店を持つ位であるから、日本語は達者なものだが、変なおっさんにい
きなりトルコ語風に話しかけられ、一寸驚いたのであろう。

 適当に注文して食したが、トルコで食べた物より旨かった。

 多分日本人向けにアレンジしてあって、肉もそれなりの物を使っているのであろ
う。

 トルコへは何時行ったのだとか、何処へ行ったのだとか、短い会話をした、勿論
日本語で。w

「テシュッキュルエデリム」帰りにそう言って店を出たが、店主は嬉しそうであっ
た。

 今度、一家で食べに来よう。

       NEGI

>山本直樹先生

>>快挙の陰に、真庭の神社の“御利益”—。

 これはいかにも日本的な話で、神道フリークの僕としては嬉しくなりますね!(^o^)/

 昔(今でも?)、大型コンピュータを導入した企業の多くが、神主さんにお願いして
地鎮祭と同じような儀式をして大安吉日にコンピュータを起動しました。

 近代科学の粋を集めたコンピュータと神道の組み合わせは、本来ならミスマッチの
はずですが、日本人の感性ではそれをミスマッチと感じないところが面白いですよね。

 でも、大昔の神社は当時の最先端の知識と文物を集めた先端科学研究所兼図書館兼
博物館兼テーマパークであり、神主さん達は政治・経済・科学・教育・倫理・その他
モロモロの生活一般に関する研究者兼シンクタンク役だったのですから、本当はミス
マッチではないんですけどね。

 今では精神的側面だけが強調されていますが、神社参拝時の手洗い、うがい等のお
清めの儀式は、神社の文物を細菌汚染から守る為の行為であると同時に、病原菌によ
る伝染病感染を予防するの為の行為であり、そのことを新型インフルエンザ騒ぎで認
識した人もいたのではないかと思います。

 朝夕に神社に参拝し、手洗いとうがいを励行していた人は伝染病に感染しないとい
う”御利益”が本当にあったのであり、神社に参拝しない人は伝染病に感染するとい
う”罰”が本当にあたったんですよね。(^_-)

                          とものり

>NEGIさん

 エジプト・トルコ旅行記のアップ、どうもありがとうございました。m(..)m

 ”わび・さび”を超え”軽み”の境地にまで達したNEGI節を、久しぶりに堪能しま
したよ。

 実は下の娘の新婚旅行先がトルコで、例のサバサンドを食べたそうです。んで、生
物多様性生活環境で鍛えられた娘は、サバサンドでも水でもやはり下痢はしなかった
そうですよ。v(^^;)

 トルコ土産としてカラフルなゼリーのような菓子を買ってきてくれましたが、これ
がめったやたらと甘くて口が痛くなるほどでした。(^^;)

 カミさんの予定では次の海外旅行先はカナダだそうですから、その次は僕の希望を
入れてもらってトルコかエジプトに行ってみたいですねぇ。

                          とものり

880. 中和神社 投稿者:山本直樹 投稿日:2010/06/17(木) 07:39:25
山陽新聞から
快挙の陰に、真庭の神社の“御利益”—。 小惑星探査機「はやぶさ」担当チームの責任者は、地球に帰還できない危機に際し、重要部品と同じ文字を冠した中和(ちゅうか)神社(真庭市蒜山下和)を参拝、お札をはやぶさの管制室(神奈川県相模原市)にまつって成功を祈願していた。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)の広報部によると、参拝したのは昨年11月。はやぶさの電気推進式の「イオンエンジン」4台のうち3台が故障し、残る1台も寿命間近という最大のピンチに陥ったときだった。
チームは故障したエンジンのうち、1台のイオンを噴射する部品と、もう1台の電子を噴射する重要部品「中和(ちゅうわ)器」が無事なことに注目。遠隔操作で回路をつなぎ、2台で1台分の推力を発生させる離れ業に挑んだ。
神にも祈りたい気持ちのチームが全国を調べたところ、読みこそ違うものの中和神社が見つかった。川口淳一郎宇宙機構教授がポケットマネーで参拝し、お札を持ち帰った。イオンエンジン内の「中和器」は作動し続け、はやぶさは地球帰還軌道に乗った。
偶然にも、道中安全の神としても信仰されている中和神社。入沢喜一宮司(44)は「はやぶさの帰還は関係者の努力のたまものだが、当神社の加護がいささかでも世界的な快挙に貢献できたのであれば、大変な光栄だ」と話した。

879. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間エンディング 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/17(木) 06:10:22
 帰りのヒコ−キは、お馴染みのエジプト航空だ。
 読書灯が点きっぱなしになってしまって、どうやっても消せなかったりしたが、
そんな事では驚きはしない、些細な事だ。w
 関空に降り立った時に、忘れていた空気の湿り気を感じた。
 そうだ、ここは蛇口から直接水が飲める国だ、トイレがタダの国だ。
 ふっと夢から覚めたような気がした。
 
 長い間、私の愚にも付かない駄文でお目汚しを致しました。
 この間石をぶつけたくなる気持ちを抑え、じっと我慢をされた事に感謝を致しま
す。
 皆様方のご多幸をお祈りいたしまして、ご挨拶といたします。
 ご清聴ありがとうございました。

         NEGI

878. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ11 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/17(木) 06:09:08
 カイセリ空港からトルコ航空でイスタンブ−ルへ戻る。
 イスタンブ−ルで残りの観光をする。
 ここで印象に残ったのは、オルタキョイ、グランドバザ−ル、ボスポラス海峡ク
ル−ズか。
 トプカプ宮殿、地下宮殿ってのもあったっけ。
 世界遺産に向かって「あったっけ」もないもんだが、さすがにこの辺まで来ると
脳のトルコ人化も進んで、あまり感動しなくなっているのだ。
 「おっちゃん、少々の事では驚かへんで、どんと来んかい症候群」なのだ。
 観光スポットは以前書いたように、旧市街と金角湾を挟んだ地区に集中している
ので、あれなんか見覚えがあるぞ、ああ昨日通ったな、とか、あと何分で到着とか
余裕で計算出来てしまったりするのだ。
 しかし、さすがは世界遺産トルコのイスタンブ−ルだ、次々に新手を繰り出して
くるのだ。
 感動しても感動してもきりがない。w
 親日家が多く人懐っこくて親切な国民性なので、どこか安心感があるのだ。
 トルコでパスポ−トを無くし、そのままイスタンブ−ルに住み着き土産物屋をや
ってる女性も居るそうだ。
 気持ちはよく分かる、私もそうしたかったが、嫁さんと息子二人同伴ではね、日
本にいるのと何にも変わりが無い。w
 私の中では、もう一度行きたい国の上位にトルコは入ってる。

 ギョルシュルズ イスタンブ−ル
 サーオルン トルコ
 
 おしまい    NEGI

877. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ10 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/16(水) 17:45:57
 ギョレメの奇岩群も見ものだ、普通カッパドキアと言えばこちらの方が有名かも
しれない。
 視覚的にはかなりインパクトのある風景で、とんがった岩にちょこんと帽子のよ
うな岩が乗っている奴とか、まるで蟻塚のような巨大な岩のあちこちに窓やら扉や
らが虫食い状に開いている奴とか、ちょっと目には巨大なスポンジか穴明きチ−ズ
みたいに穴だらけの奴とか、とんがり帽子の天辺につつましく二つ三つ穴の開いて
る奴とか、とにかくそんなのが辺一面突っ立ってるのだ、中にはホテルになってる
のもあったりして、まるでおとぎの国だ。
 普通建築物は垂直と水平のラインで構成されていて、我々も良く見慣れているし
そんなもんだと思っていた。
 ところがここの、建物じゃないにしろなんらか人の手が加わって建物と言えなく
はないものは、およそ直線というものが無くあるのはただ無秩序にぐにゃぐにゃと
うねったラインだけなのだ。
 ふと、幼い頃に砂山を作りあちこち穴を開けた遊んだ記憶がよみがえる、懐かし
さも覚えるような不思議な光景である。
 まだ今でも実際に住んでる人も居るそうで、基礎は磐石、増築はつるはし一本、
壁の厚みはお好み次第、築ン万年敷金礼金無ガ水電下水工事可みたいな所か、そう
いえば昼飯は洞窟レストランだったっけ、結構快適だったなあ。
 日光を見るまで結構と言えないらしいが、私は地下都市を見たのでカイマクル!事
ができるし、奇岩群を見たのでギョレメ!と驚くことができる。ナンノコッチャ

NEGI

876. Re[875]:[873]:行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ9 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/16(水) 17:45:17
>えちごやさん

おひさ〜

>>ところで、書き込み時刻がとっても気になるのですが、
>>日本の神様はそんなにお暇@?#$@・・・ウァ、ナニヲ・・・ry

これでも、この一週間は忙しかったんですよ。w
と言っても、お昼には帰っていますけどね。^^;

なんせ自営業者ですからね、時間は自由になるんですよ。
自由になる時間が欲しくてこの商売になったくらいですから、
本当に忙しい時期は周りに当り散らしていますよ。w

        NEGI

>NEGIさん

ご無沙汰しております、

エジプト&トルコ格安弾丸ツアー楽しく拝読させていただいてます。^^

ところで、書き込み時刻がとっても気になるのですが、
日本の神様はそんなにお暇@?#$@・・・ウァ、ナニヲ・・・ry


えちごや@暇が無いったらありゃしない・・・^^;

>NEGIさん

>> うーむ、まるで我々の子供時代の秘密基地みたいだ、古くは映画「腕白戦争」の
>>秘密基地も食料そして戦略物資のボタン(わからない人は、とものりさんに聞こう
>>^^;)を貯蔵していたっけ、規模はまったく違うが。

 はーい、お呼びですかぁ〜?(^o^)/

 う〜ん、「わんぱく戦争」とは懐かしい! 「わんぱく戦争」とくれば、何といっ
ても秘密基地とボタンとフニャチン(^^;)を思い出しますねぇ。

 ちなみにこの映画の原題(原作小説も)は「ボタン戦争」で、もちろんそれは核戦争
時代の「ボタン戦争」をもじったものですよね。

 実際、大宇宙の純粋知性体生命から見れば、地球でやっている戦争は「わんぱく戦
争」のような子供の幼稚な喧嘩に見えるでしょうね。(^^;)

                          とものり

873. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ9 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/14(月) 14:33:07
 カッパドキアへ到着だ。
 ずいぶん昔の事、TVだったか雑誌の写真だったかで奇妙な形の岩山が林立する
風景を見た。
 その岩山は天辺に帽子のような岩の塊を乗せているのだ。
 その内の幾つかは、所々に穴が開いて、それも自然にできた穴ではなく、明らか
に人が開けた穴のように見えた。
 不思議な光景で、場所はカッパドキアと、これまた不思議な名前の所だった。
 漠然とだが、いつかはそこへ行って見たいと思うようになった。
 そして、ついに夢が現実のものとなった・・・・・・。毎回アホ丸出しの書き出
しだこと(笑)
 ま、とにかく到着したんだから見学しましょ。w
 最初はカイマクルの地下都市だ、
 原始キリスト教徒たちが造り上げたと言われている、文字通り岩を掘って地下に
造られた、まるでアリの巣のような住居である。
 一時に5000人が暮らせた、と、ガイドのイブラヒムは言うが、ホンマかいな

 公開されていないが、地下80メ−トルまで続いているそうな、ま、それならな
んとか暮らせるか。
 普段は食料庫として大量の食料を貯蔵しておき、敵が来たら、ガイドのイブラヒ
ムは何度も敵、敵と言う、ここに篭城するらしい。
 うーむ、まるで我々の子供時代の秘密基地みたいだ、古くは映画「腕白戦争」の
秘密基地も食料そして戦略物資のボタン(わからない人は、とものりさんに聞こう
^^;)を貯蔵していたっけ、規模はまったく違うが。
 そして、内部は「敵」に備えて迷路になっていて、「敵」が来たら蓋をしてしま
う大きな石の扉とか、「敵」を誘い込む落とし穴とか、屈まなければ通れない曲り
くねった通路とか、換気のための竪穴とか、キッチンとか教会とかぶどう酒の醸造
所とか、およそ生活のためのありとあらゆる設備が造ってある。
 本気で「敵」を恐れていたようだ。

NEGI

872. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ8 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/13(日) 06:46:27
 天気が良く車窓からは大平原が見える、よく耕され作物が伸び伸びと育っている
、なんて月並みな表現では収まりがつかない、道路の両側は傍らから遠く霞んで見
える丘の上までズーッと全部耕地である。
 かなり大きく区切られた区画がいくつも地形に沿ってゆるくうねり、、緑色の区
画や土がむき出しの区画、まばらに色付いた区画やらがモザイクを成し、それこそ
何処までも見渡す限り続いている。
 時々テントがいくつか張ってあるのが見える、何人かが生活してるようだ。
 多分、耕作地が住家から遠く往復が大変なので、大規模な畑仕事の間現場でテン
ト暮らしをしているのだろう。
 子供連れで楽しそうだった。
 そう言えば、オスマントルコの出身は遊牧民だそうで、テント暮らしはお手のも
の、その伝統は今に息づいてると言うわけだ。
 道路は上下共二車線でよく整備されている、運転マナ−も良いようだ。
 所々が集落になっていて、赤いカワラ黄色っぽい壁の家が建ち並ぶ。
 そこには必ずモスクがあるのだが、ミナレットが一本きりだったりドーム屋根で
はなかったりするのが面白い。
 ミナレットには一日5回の礼拝を知らせるアザ−ンの詠唱のためのスピ−カ−が
取り付けてある。
 アザ−ンの声は住民にとって便利な時計代わりになっているようだ。
 宗教ってのはあれだね、すごく大変だね、特に主催してる方はサボるわけにいか
ないからね、サボったら直ぐばれちゃうからね、病気になろうが飲みすぎであろう
が、決められた時に決められた事をしなきゃいけないからね、私のようなグ−タラ
にはきつい仕事だ。ゞ(--)オイオイ

NEGI

871. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間閑話休題 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/12(土) 15:52:10
 土産物屋での断り方
 団体ツア−、特に格安団体ツア−で海外へ行くと、観光の合間に必ず何軒か土産
物屋につれてゆかれる。
 売り子がマンツ−マンで付き、ものすごい勢いで商品を薦められるのだ。
 大抵は高価でとりたてて必要のないものばかりで、うち幾つかは偽物であったり
する。
 うっかりすると魔法にかかった様に、この欲しくもない物を知らない内に買って
しまったりするのだ。

 そこで土産物屋での断り方

一.最初から入らない。
団体ツア−の性質上難しいかも、中には全員を入れてから鍵を掛けてしま
う所もあるからね。w
ガチャンと鍵を掛けられると、まじ、観念するもんな。^^;

二.店員に近づかない。
マンツ−マンで来られると逃げるのに苦労する。
おっかない恰好をしてると相手もビビるのか、無事なことが多い。サング
ラスを掛けるとか雪駄を履くとか各自工夫しよう。
ただしやりすぎると、もっとおっかない店員が出てくることもあり。^^;

三.話題をそらす。
どうせ相手は日本語が話せる事だけで雇われたアルバイト店員です。世間
話でもしてこの場を切り抜けましょう。
「お前の息子は今幾つだ。」とか「結婚してるのか。」とか話題はいくら
でもあるでしょう。また自分の事を話題にするのも効果があります。
これもやりすぎると相手に同情してしまい、要らない物まで買わされる事
に。

四.安い言い値をつける。
大体通り値の2〜3倍の値段が付いています。思い切って表示値の5分の
1くらいの言い値を提示しましょう。ここがミソで最初から10分の1く
らいの言い値では相手にされず、ナメてんのかと思われ今度は更なるイン
チキ品をしつこく薦められる事になります。
こういった交渉では言い値をつけて双方歩み寄るのが普通なので、うまく
いけばお値打ちに購入する事が出来るかも知れませんが、ここではあくま
でも断り方を論じていますので、断じてその言い値から退かず交渉の決裂
を待ちましょう。
まれに店の奥からマネ−ジャ−が出てきて、その値段でOKになる事があ
ります、その時は「気分を害した」とか「急に買う気がしなくなった」と
かキれたフリをして交渉を打ち切りましょう。
しかし店側もキれて、翌日ナイル川やボスポラス海峡に浮かぶ事になって
も私は知りません。

五.最終手段
最初からトイレに隠れてる。これは最強最終の手段です、この技は誰にも
破れません、ていうか何の為に観光に来ているのかよく分からなくなる技
です、弊害としてだんだん自分が情けなくて惨めになってきます、またト
イレでじっとしてると何やらおなかが痛くなってきて本当に下痢になった
ります。^^;
気がつくと置いてきぼりになっていた、などと言う事にならないようにし
なければなりません。

 現在日本で買えない物はありません、世界中の品物がその気になれば手に入りま
す。
 でもそれを作って売っている人たちの事情やら気持ちまでは分かりません。
 これらの土産物屋では、くわしい説明や製作の実演をしてくれる所もあるので、
少しはその商品の背景が理解できることでしょうし、またこれも観光と割り切って
しまえばうるさい店員が居ても結構楽しめたりなんかします。
 
NEGI

870. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ7 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/11(金) 06:43:12
 アンカラはトルコの首都である。
 首都であるからには、国会議事堂とか政府関係の建物があるはずだが、格安弾丸
ツア−だからそんなものは当然ツア−の予定には入っていない。
 アタチュルク霊廟を道路を挟んで外から拝見する、車窓見学だ、なんせ格安弾丸
ツア−だからね。w
 アタチュルクは幼名をムスタファと言い、出世とともにムスタファ・ケマル、ケ
マル・パシャ、ケマル・アタチュルクと変わって行った様である、
 トルコにはそれまで姓を名乗る習慣がなかったため、ケマルはあだ名、パシャは
尊称ってところか。
 自身が大統領になってから創姓法が制定され、その時に議会から贈られたのがア
タチュルク(建国の父)と言う姓なのだ。 
 ムスタファ・ケマル・パシャ・アタチュルク、全部つなげると完全な建国の父で
あるムスタファ(選ばれし者)大人ってところか、違ってるかも知らんが。^^;
 彼は、衰退著しいオスマントルコ帝国の代わりに指揮を執り、ガリポリの戦いで
は貧弱な武器でイギリスに一泡吹かせてチャ−チルに海軍大臣を辞任させ、ロシア
軍の進撃を阻止し、希土戦争ではギリシャ軍にアンカラ近くまで攻め込まれるもこ
れを追い返し、幾多の国難に打ち勝ち、その後オスマントルコ帝国を廃し、新生ト
ルコ共和国を建国し、初代大統領に就任するや、内政に腕を振るい諸制度を改革し、
伝統服から洋服に変え、国語の表記をアラビア文字からラテン文字に変更し、憲法
からイスラム教の条文を外し、トルコの経済を発展させてしまった、とんでもない
巨人なのだ。
 20世紀で最も成功し尊敬された「独裁者」なのだそうで、亡くなるまで大統領を
務めた。
 トルコ建国の父ムスタファ・ケマル・アタチュルクとして、今だにトルコ国民か
ら敬愛されているが故に、この霊廟には彼の保存処理された遺体が安置されている
のだ。
 また、トルコにはアタチュルクに対する不敬罪があって、公の場で侮辱すると罰
を受けるそうだ。
 さて、そんなのはどーでもいいんです、トルコ観光の目的の一つはカッパドキア
の地下都市と、ギョレメの奇岩群を観光する事にあるんですっ。
 早く行きたい、が、アンカラからバスで4時間、う−ん、くたびれることだ。w

  つづく   NEGI

869. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ6 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/10(木) 18:31:35
 さて十分酔ったところで、今夜のねぐらは寝台列車である、トルコ国鉄ご自慢の
寝台特急でアンカラまで行くのだ。
 席は二人用のコンパ−トメントで、冷蔵庫、洗面台、テ−ブル等が付属しており
、座席をたたむと上下二段のベッドになる仕掛けだ。
 頃合になると係員がやって来てベッドにしてくれる、寝台車は日本でも何度か乗
った事があるが、何かこう特別な旅をしているようで大変気分がいいのだ、もっと
も気分がいいのは酔っぱらっていたのも理由の一つだが。w
 それまでずっと飛行機やバスでの移動だったので、列車での移動それも寝台車で
の移動は新鮮な気分にしてくれる。
 レールのリズムとラクの効き目もあって、すぐに眠りについてしまった。
 zzzzzzz。
 トルコの寝台列車は夜明けの景色がすばらしい。
 トルコ中部はなだらかな大平原が続き、よく手入れされた耕地が連なっている、
農産物の自給率は100パ−セントだそうだ。
 起きてしばらくするとまた係員がやってきてベッドをたたみ、座席にしてくれる。
 景色を映す窓ガラスにはトルコ国旗の星と新月がマ−クされている。
 ランララランラン・・ふいに風の谷のナウシカのメロディーが流れてきた、私の
頭の中だけで。w
 連結されている食堂車で朝食を摂る。
 パンとバター数種類のチ−ズ、少々の野菜とオリ−ブの実、それにコーヒーだ。
 添乗員がコーヒーは一杯だけ、ティ−は二杯まで、などと告げ回っているのがち
と興ざめであるが、格安弾丸ツア−だからこれでいいのだ。
 途中、信号待ちだとかで30分くらい野原の真ん中で停車、結局一時間遅れでアン
カラに着いた。w

  つづく   NEGI

868. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ5 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/10(木) 08:54:59
 晩メシは魚料理だ、魚料理といってもサバサンドの中身だけ単独で皿に乗ってる
ような料理だった。
 ここ、クムカプ地区は魚料理専門店が道の両側にズラリ20軒くらい(もっとかも
^^;)並んでるところなのだ。
 両側からオ−プンカフェ風にテ−ブルを張り出している、日が暮れてすぐの時間
帯であったが、すでにあちこちで宴会が始まっている。
 食事をしてるテーブルの横では民族楽器で生演奏をしてたりしているのだった。
 我々が食事を終え帰る頃にはほとんどの店が満席で、人々が食ったり飲んだり騒
いだり、酔っぱらったり笑ったり歌ったりしてるのだった。
 まるで、千と千尋の神隠しで、「油や」の前の飲食街のような雰囲気であった。
 トルコにはビ−ルもあるが、もっと有名なのにRAKI(ラク)と言う名の焼酎
がある、
 トルコ建国の父、ケマル・アタチュルクもこよなく愛したとされるこのラクであ
るが、すごく癖のある酒なのだ。
 アニス(ういきょう)のエキスが入ったこの酒は、水で割ると真っ白に濁るのだ、
この様からライオンのミルクと言うそうだ。
 飲み方は、1:1〜2位に水で割り、傍にチェイサ−つまり水ね、を置き(余談だが
トルコでは水のことをSU(ス)と言う)一口飲み干す毎に傍らの水を飲むのが正
しい飲み方らしい。
 周りで飲んでるジモッティ−の酔っぱらいたちは皆そうしていた。
 実は、愛知万博のトルコ館でこのラクを買ったのはいいのだが、その癖のある香
りと味に驚きそのままうっちゃってあったのだ。
 たしかにこの飲み方だと、口の中にほんのり甘みが残り飲みやすい、これで家に
あるラクももう一度活躍させてやる事が出来るかもしれない。^^;
 今宵の酔いは心地よく、周りの喧騒もまったく気にならない、酔っぱらいは世界
共通皆兄弟なのだった。

  つづく   NEGI

867. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ4 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/09(水) 19:34:23
 イスタンブ−ルは大きな町だが、観光スポットは旧市街とこの金角湾の周りに集
中してるようだ。
 格安弾丸ツーリストにはありがたい配置なのだ。
 エジプシャンバザ−ル、サバサンド屋(観光スポットなのか)、ガラタ橋、チュ
ネルに乗り、イスティクラル通りを歩き、徒歩でガラタ塔へ向かう。
 あ、もう一度断っておきますけどこれは旅行記ですからね、決して観光ガイドで
はありませんからね。
 当然記憶違いもありえるわけで、名称の間違いとか場所の勘違いとか、その他発
生した損害について一切の非難抗議賠償の要求アホ呼ばわり等は受け付けませんか
らそのつもりで読んでください。^^;
 ガラタ塔は60メ−トルくらいの石造の塔で、中は結構広く上階は展望レストラ
ンになっている。
 12階建てなのだがエレベ−タ−が備わっているので登るのは簡単だ。
 金角湾に面した小高い所に建っているので、最上階からの展望は格別だ。
 最上階の展望台は丁度その時間帯なのか狭い上に大変混んでいる。
 すれ違うのもやっとだが眺めは最高で、金角湾は勿論のことボスポラス海峡、ア
ジアンサイド、マルマラ海方面もよく見える。
 足元のイスタンブ−ル市街は、夕日に映える赤いカワラ屋根がずっとつづき、新
市街の360度パノラマや旧市街のモスク群も眺められる、実に感動的だ。
 元は灯台だったか監視塔だったかだそうだが、どちらでもよくその役目を果たし
たであろうことは想像に難くない。
 それにしてもこんな石作の古めかしい塔がよく残ってたもんだ、そいつにエレベ
−タ−を取り付け入場料を取り展望レストランまで中に造っちまうとは恐れ入る、
日本だったら歴史的建造物の中にこんなものを造っちまうなんてのは、大問題にな
るに違いない。
 格安弾丸ツア−の名に恥じず、ここも駆け足観光なのだ、後でよく見るために写
真を撮りまくる。w
 日本人は家へ帰って写真を現像してから自分がどこへ行ったか知るそうだが、我
々も地で行ってるような・・・・。^^;

  つづく   NEGI

866. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ3 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/09(水) 11:56:16
 ガラタ橋を徒歩で渡る。
 ガラタ橋は、ボスポラス海峡から切れ込んだ、旧市街と新市街を隔てる金角湾に
架かる、上階は人車道プラス路面電車プラス海釣り場になっていて、下層はレスト
ラン街や店舗になっている二階建ての橋だ。
 旧市街側のたもとには、有名なサバサンドを売る船が三艘係留されていて、岸壁
では人々がてんでにサバサンドを頬張っている。
 食べたかったが、「エジプトから来てすぐではおなかを壊しますよ」とガイドの
イブラヒムに言われ断念した。
 イスタンブ−ルではサバサンドを食べようと心に決めてきたのでとても残念だっ
た。
 橋の上ではトルコの太公望たちがズラッと竿を出している、ここで彼等がサバを
釣ってサバサンド屋へ供給してるとのうわさが出るくらい、何時行っても釣りをし
ている。
 橋を渡るとチュネルの駅である。
 世界最初の地下鉄と言われるわずか500メ−トル強のチュネルを(ガイドのイ
ブラヒムは1キロメ−トルと言ってた)、イスタンブ−ルっ子は誇りにしてるらし
く今だに現役で動いているが、それ以外には作ろうと思わなかったらしい。
 かなりの登り勾配で、これは電車ではきついだろうなと思っていたら、案の定ケ
−ブルカ−だった。
 あっというまに終点まで行ってしまう。
 降りた所はタキシム広場へ通じるイスティクラル通りである。
 ここにはオールドスタイルの路面電車がゴトゴト通っている。
 ここはイスタンブ−ルの銀座通りとも言われている所で、道の両サイドにはヨー
ロピアンな建物が連なり、そこは色々な店になっていて、結構賑やかな通りとなっ
ている。
 ストリ−トパフォ−マ−も沢山いて、ブラ歩きにもなかなか飽きさせない、一日
中でも充分に楽しめそうだ。
 しかし悲しき格安弾丸ツーリスト、思いを残して泣く泣く次の予定に向かうのだ
った。

  つづく   NEGI

865. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ2 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/08(火) 22:44:39
 その後はエジプシャンバザ−ルで自由時間だ、イスタンブ−ルではグランドバザ
−ルと共に有名なバザ−ルである。
 エジプトから来てまたエジプシャンかよと思うが、ここは香辛料を主に扱うバザ
−ルで、観光客のほかにジモッティーも沢山来ているので大変な混雑だ。
 周りの店から「ニホンジン」「コンニチハ」「トウキョウ」「シュンスケ」等々
次々と声がかかる中、ニッと笑いながら、「ワタシ、チュウ○クジンネ、アナタナ
ニイッテルカワカラナイ」的な小芝居をうちつつ、スバヤク品定め&値踏みをしな
ければならないので大変だった。
 ここは、ドル円ユーロ、勿論トルコリラなんでも通用するが、ほとんどがぼった
くりで掛け値オンパレードである。
 エジプトでもそうだったが、ここトルコでも観光客が集まるところでは相手を見
て値段が決まる。w
 良心的な店で倍、そうでないところは3倍の掛け値だ。^^;
 とにかくせまい通路に怪しげな物を売る店がひしめき、これまたアヤシゲなニホ
ンゴをあやつり何か売りつけようとてぐすねを引く、満面に笑みを浮かべた詐欺師
達ゞ(--)オイオイ、私の一番好きな類いの場所だ。w
 トルコ人は、特に観光客相手の商売やってる連中は、かなり流暢な日本語を話す、
英語はだめだが日本語は話すなんて奴もいたりする、そして一般的に日本ひいきで
ある。
 試しにそこらを歩いてるトルコ人を捉まえて「メルハバ」とか言ってみるがいい
、こちらが日本人だと分かったとたんに相好を崩して親愛の情を示そうとするに違
いないのだ。
 だが時々こちらを中○人と間違えて、「アイ ラブ ダライラマ」とか言ってく
る奴も居るので注意が必要だ。凸(`_')

  つづく   NEGI

864. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間トルコ1 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/08(火) 08:09:09
 カイロ空港から飛んでイスタンブ−ルだ。
 当然エジプト(中古)航空だが、今回はシ−トのリクライニングが勝手に下がって
いってしまい、知らないうちにフルリクライニングになってしまうと言う、実にこ
じゃれた座席で、すっごく気に入った。
 せがれはシ−トベルトが勝手に外れるという、とってもステキな座席に当たって
至極ご満悦だった。w
 飛行は奇跡のように安定しており、恐ろしいほどスム−ズに着陸した。
 イスタンブ−ルは前日まで雨だったそうだが、我々の到着と同時にモ−ドが切り
替わったようで青空が見えていた。
 トルコの現地ガイドはイブラヒムと自己紹介した。
 話し終わりに語尾が上がるトルコなまり風ののニホンゴを話すが、聞き取りやす
く違和感はあまり無い。
 世界史の教科書には必ず出てくる程歴史の有るイスタンブ−ルだが、私には国際
諜報都市イスタンブ−ルと聞いたほうがしっくりとするので、気分もしだいに00
7してくるのであった。w
 このガイドのイブラヒム氏、なかなかのやり手らしく観光予定を組み替え時間を
やりくりして観光ポイントを一つ増やしてくれた。
 (添乗員は会社にばれるとヤバイとかつぶやいていたが、ここに書いてしまって
大丈夫なんだろか。)^^;
 ブルーモスクへ行った。
 まあ、イスラム教のモスクなんか、記憶に残ってるのはブルーモスクだけで、他
にモスクを見せられても皆同じように見えるし、当然名前なんか覚えていないし、
どうせ違いを説明されたってすぐ端から忘れていってしまう。w
 とにかくいくつかモスクを見た。w
 エジプトのモスクに比べ、内部が幾何学的模様のタイルに埋め尽くされていて、
スッキリクッキリシャープに見える。
 青系統の色使いが多いが、これはオスマントルコ以来の伝統で、トルコ人が愛し
てやまない青空の色なんだそうだ。
 
  つづく     NEGI ううギャグが思い浮かばん (ーー;)

863. エジプト編まとめ 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/07(月) 21:35:24
 エジプトで気になった一言

 エジプト人には木や花の名前に興味は無い。
                byガイドのムスタファ

 聞いても木という名前の木、花という名前の花としか反ってこない。w
 反面、石についてはやたらと詳しいそうだ。

 この国には無料の物はありません。
                by添乗員のUさん

 そう言えば水もトイレも有料だもんなぁ。

 ヤマモトヤマ
                byギザの土産物屋

 突然言われるとびっくりする。

  トルコ編へつづく  NEGI

862. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間エジプト9 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/07(月) 19:30:06
 今日でエジプトからおさらばである。
 一つ書き忘れたことがある、それはカイロの交通事情のことである。
 別名カイロのクレイジ−トラフィックと言うそうだが、われわれの体験を書くと
、カイロでは結構高速道路が発達しており、郊外からそのまま高速で市内へ入れる
のだ。
 それは便利で良いのだが、問題は運転手の意識と言うか国民性というか、まず高
速道路なのに人間がうろうろ器用に横断する。w
 三車線の高速道路で車が走ってるとする、そこへ歩行者が横断を開始する、横断
者当然車が来てる事を認識してる、車が接近する、横断者車との距離を絶妙に見切
る、ここぞという時に横断者身を横にして立ち止まる、車横断者の両側50センチ
をそれぞれ通過する、道路の向こう側に達するまでそれを何度も繰り返す。w
 車側も負けてはいない、三車線の高速道路だが、五車線として使ってる。w
 ガイドのムスタファ曰く、この国の人はなんで道路にラインが引いてあるのか理
解していないそうだ。ww
 この国は右側通行だ、観光バスに乗っていて、一番中央分離帯に近い左車線を走
っているはずなのに、なぜかその左側から抜かれるのだ。w
 交差点でもほとんど信号が設置されていないので、先に頭を突っ込んだほうが勝
ちなのだ、だからどんどん突っ込んで来て結果大渋滞の発生、めでたしめでたしみ
たいな状況が毎日毎日日常茶飯カイロ名物、も、あれだかんね、わしらこれがない
と生きてる実感がないもんねby椎名(しつこいw)的どーしよーもない状況にな
っているのだ。
 うそだと思ったら、”crazy traffic in Cairo”でぐぐってみなさい。^^;

  エジプト編おわり   NEGI

861. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間エジプト8 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/07(月) 19:22:00
 追いすがる土産物屋を振り払い、吉村教授の太陽の船発掘現場の脇を通ってピラ
ミッドエリアの東側に回る。
 ここには、夢の碑文で有名なスフィンクスがある。
 上半身はかなり痛んでいてデティ−ルが損なわれつつあるが、これは元々もろい
岩層を削りだしているために風化が激しいのと、ナポレオン軍が訓練の時大砲の的
にして痛めてしまったらしいためだそうである、ひどいことをするものだと思うが
都市伝説の一つかもしれない。
 下半身は長い間砂に埋まっていたためかよく残っていて、製作当時に思いを馳せ
る事が出来る。。
 このあたりは、河岸神殿や運河、船着場等の遺構が発掘されていて見ごたえは充
分だ。
 ところで、スフィンクスの視線の先には何があるかご存じだろうか、スフィンク
スの前方200メ−トル位までギザの町が迫ってきているのだが、ちょうどスフィ
ンクスの真正面にあたるのが、なんとお立会い、一階がケンタッキーフライドチキ
ン、二階がピザハットのよく目立つ赤い建物なのだ。
 数千年前の神秘と現代の即物的な欲望の象徴との対比が面白いのか、よくテレビ
番組などで紹介されたりもする。
 たぶん世界一有名なこの建物は、じつは一階のKFCは観光ポリスの詰所が邪魔
でよく見えない、二階のピザハットの方がよく目立つのだが、なぜかこの件が紹介
される時にはKFCと紹介されることが多いようである。
 目の前にウマそうな物を見せられ身動き一つ出来ないなんて、なんてかわいそう
なスフィンクスちゃんなんざんしょ、まるで誰かに動くなと命令されたごとく。
 あ、だからスフィンクスはずっとあの「おあずけ」ポーズなのか、うーむ謎が一
つ解けたかもしれない。w

  つづく   NEGI

860. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間エジプト7 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/07(月) 12:06:38
 ギザの第一ピラミッドはエジプトの国力が最大の時の産物で、しっかり出来てい
ると言うか無理をして作っていない感じがする。
 勿論そこで働いてた人民はかなり無理してたろうが、見た目が無理なくすっきり
してると言うことだ。
 石材も高さが揃って、いかにも材料を吟味しましたぜダンナ、へへへ、ご注文通
りに仕上がってまさぁご安心下せえ、的な安定感が見て取れるのだ。
 それに比べ第二ピラミッドは、積んである石材も小さく不揃いで、無理をして作
った感が有る。
 第三ピラミッドに至っては、他の二つに比べて少々みすぼらしい。
 造られた順に少しずつみすぼらしくなって行くのは、商売で大成功した祖父の大
金をつぎ込んだ道楽に、負けじと二代目が挑戦するも一歩及ばず、三代目はもはや
青息吐息でそんな財力も残ってなかったためお茶を濁す程度のお付き合いで、てな
風を想像してしまい、とうとう四代目は店を潰してしまった、などど下世話な妄想
を逞しくさせるのに充分なのだ。w
 ここでは第二ピラミッドの内部を見学した。
 大手の豪華旅行会社ならきっと第一ピラミッドの見学なんだろうなあ、なんせこ
ちとら格安弾丸ツア−だからね、第二ピラミッドでも文句言えないのだ。
 お決まりの荷物検査があって内部に入る、狭い通路を中腰で下がったり上がった
り、やっと何も無い玄室に辿り着く。
 大変蒸し暑い、十五畳ほどの空間に20人くらいがひしめいているのだから当然
だろう。
 残ってる石棺に横たわりライブマミーの実演をしてる奴がいる、人が近づくとう
ぉーとか言って立ち上がるのだ、観光客らしいが暇な奴だ、失笑を買ってるのにち
っとも止めない、私もやりたかったのに出来ないじゃないか。w

  つづく   NEGI

859. Re[858]:[857]:行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間閑話休題 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/07(月) 12:03:01
>とものりさん

>> そういえば下の娘が研修でメキシコに行った時、現地の水を飲んで一緒に行った学
>>生仲間全員が下痢で入院したのに、娘だけは何ともなかったそうですよ。

 メキシコも水が悪そうですね、っていうか水道の蛇口から直接水が飲めるってのは、
世界でも少数派ですよね。

 そう言えば日本へ帰ってきて、何が一番嬉しかったといえば、無料の水と無料のトイレでした、第一きれいだし。w

>> 旅行記の続きを楽しみにしてますよ〜!(^o^)/

 ありがとうございます。
 暫くご辛抱の上、お付き合い下さいませ。

         NEGI

>NEGIさん

>>いずれにしても独断と偏見に満ち、ひとりよがりの上まるでウワゴトのよう
>>な文章ですから、ご使用上の注意をよく読み誤用を避け分量用法を守り副作用
>>に注意してお読み下さい。

 もうすでに「僕もエジプトに行ってみたい!」という海外旅行意欲亢進作用が発現
し、笑いの発作という副作用が発現してますよ。(^^;)

 そういえば下の娘が研修でメキシコに行った時、現地の水を飲んで一緒に行った学
生仲間全員が下痢で入院したのに、娘だけは何ともなかったそうですよ。

 生物多様性を重んじる我が家は、ネズミやゴキブリやカビや雑菌と共生生活を営ん
でいたので鍛えられてたんでしょうねぇ。(^^;)

 旅行記の続きを楽しみにしてますよ〜!(^o^)/

                          とものり

857. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間閑話休題 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/07(月) 08:37:23
ご注意

 この旅行記は私が行った事になっておりますが、それらは全部私の妄想かも
知れず、また伝聞が自分の経験にすりかわっているかも知れず、ひょっとした
ら私が書いてすらいないのかも知れません。
 いずれにしても独断と偏見に満ち、ひとりよがりの上まるでウワゴトのよう
な文章ですから、ご使用上の注意をよく読み誤用を避け分量用法を守り副作用
に注意してお読み下さい。
 
NEGI

856. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間エジプト6 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/06(日) 13:19:55
 さて、いよいよギザの三大ピラミッドの見学だ。
 ギザの三大ピラミッドとは、大きい順にクフ王、カフラー王、メンカウラ−王の
ピラミッドの事だ。
 ガイドのムスタファは第一ピラミッド、第二・・、第三・・などと表現するが、
私もタイピングがめんどくさいのでそれに倣うことにする。 前日から、ギザ市内
は当然の事カイロ市内からもチラチラ見えてたので、も、わしらあれだかんねピラ
ミッドなんか珍しくもなんもないかんねby椎名誠風のオチツキが見えていたのだ
が、間近に見るとやはりその迫力に圧倒される。
 4500年前、ガイドのムスタファは簡単にこの文句を口にするが、日本だった
ら縄文時代の真っ最中だろ、さすが母なるナイルの民だ、こちらはただダマって聞
いてるしかない。
 で、その4500年前ね、作ったわけよ、この人工の山を、ファラオが、民を動
かして、一個一個積んでるのよ、一個2トン半だって、へーよくこんなもん動かせ
たなー、ゴジラも東京タワーだったら簡単にぶっ壊すけどこっちは無理だな、第一
ピラミッドとゴジラじゃ絵にならんだろーなぁ・・・・・・。
 ぽかんと口をあけ、瞳孔は拡大し、脳裏にはそんなことがよぎって行くのだった
。w
 ギザの町から塀で遮られているが、ピラミッドまで500メ−トル位か、見回す
と直ぐ傍に町並みが見える。
 下は石灰岩の台地だ、ここから向こうは茫漠たる砂漠が続く、暑い、37度位か
、湿度は10パ−セント有るなし、空が青い、頂に大きな鳥が舞っている。
 「ヤマモトヤマ!」いきなり声をかけられた。
 土産物の売り子だ、日本人だと見れば知ってる単語全開で近づいてくるのだ。
 ここは国際的な観光地なので、日本人だけでなくいろいろな国の観光客が入り乱
れている。
 だから狙ったお客をとっさに品定めし、間髪を入れず理解できそうな単語を並べ
る、バカではやっていけない土産物屋の能力なのだ。
 彼等は生活がかかっているのか、恐るべきしつこさで買わせようとする、商売中
の彼等は目が怖い。
 値段は大抵、○個センエンか○個イチドルだ、千円と1ドルではえらい違いだが
、彼等の目論見は我々にとって知る好もない。
 それに、売り上げはその上部団体(おそらく観光ポリスへの袖の下も含むw)に
次から次へとピンはねされ、手元にはいくらも残らないであろう事は想像に難くな
い。
 それにしてもギザの土産物屋に「山本山」なんて教え込んだのはどこの誰だ。w
 そうだ忘れるところだった、新婚の息子にピラミッドをバックにしたピ−スサイ
ン姿を写メで送った。
 速攻でメ−ルが返った、「これって合成?・・・・・・」

  つづく   NEGI

855. 行って来ました、エジプト・トルコ格安弾丸ツア−8日間 エジプト5 投稿者:NEGI 投稿日:2010/06/06(日) 08:27:55
 エジプトはイスラム教国だ。
 イスラム教には戒律があって、信仰の告白、日に5回の礼拝、貧しい者への施し
、断食、メッカへの巡礼をしなければならない五行といわれるものとか、アルコ−
ルは飲んじゃだめとか女性は夫以外に肌を見せないとか、結構ストイックな所があ
る。
 でも国によってストイックさが違い、後のトルコなんかはそのあたりかなり自由
な様である。
 エジプトでは中間といったところか、なんせエジプト製のサッカラビ−ルなんて
のがあるぐらいだ、まエジプトはビ−ル発祥の地だからこれでいいのか。
 神道じゃアルコ−ル抜きは考えられないので、私はしかたなく毎食このサッカラ
ビ−ルでお清めをしたがアルコ−ル分4パ−セントでは大して酔え・ゴホン・・お
清め出来なかった気がするなぁ。w
 ムスリムは、貧しい者への施し、喜捨、バクシ−シをしなければならない、ガイ
ドのムスタファは収入の数パ−セントと言っていたが、戒律或いは自分への行なの
だからしてバクシ−シを受けた者は、お前のために受けてやったのだ、みたいに当
然と言う顔をするのだ。
 トイレのチップにしても、こまかい金が無い場合大きな金を渡すことになるが、
当然おつりなんか返ってこない、みんなバクシ−シなのだ。
 腹を下してトイレに駆け込んで、あいにくポケットには高額紙幣しかなくて、し
かたなくそれをトイレチップにしてもせいぜい「シュックラン(ありがとう)」と
言われるくらいだ。w
 そのトイレ番もそろいの制服かなんか着ていたりして、何のことは無いそこの職
員だったりする、つまるところ上限金額設定なしの有料トイレってワケか、有料の
割には汚いトイレが多かったなぁ。

  つづく   NEGI

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