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1154. 統計学的相談は可能でしようか 投稿者:おそるおそる 投稿日:2011/08/14(日) 07:23:19
はじめまして.
東北在住で,教育研究職ではないのですが,研究論文を作成中の者です.
領域は医療・福祉で,統計学の基礎的な理解は危ういと認識しています.多項ロジスティック回帰分析の定数項のp値の解釈でご相談したいのですが,この掲示板の趣旨から問題ないでしょうか.

 オアシス21で、恒例の世界コスプレサミットをやっていたので観てきました。(^o^)/
 去年があまりにも暑かったせいか、今年は夕方から開始して夜までやってました。いつもは前日に大須で行われるパレードも観に行くのですが、今年は前日に「木偶師二代目・萬屋仁兵衛の世界」に行ったので本番だけ観に行きました。
 世界で評価されている日本文化の大半——例えば歌舞伎、能、茶道、浮世絵等——は江戸時代に完成されたものであり、明治時代以後ではわずかにマンガとアニメがあるだけです。
 そのマンガとアニメは、実はデフォルメと線の省略が特徴である浮世絵と、万物に霊魂が宿ると考えるアニミズム(これがアニメーションの語源でもある)的思考と見立てが特徴である人形浄瑠璃やからくり人形の文化をベースにしたものであり、豊かな精神性と遊び心にあふれた日本文化の正当な継承者と言えるでしょう……などという小難しい理屈はさておき、外国人がやるコスプレは、やっぱりコスプレではなく本物にしか見えないなぁ〜!(^^;)

 長久手町にある名都美術館で「木偶師(でくし)二代目 萬屋仁兵衛の世界」をやっていたので観てきました。からくり人形の歴史や由来を二代目萬屋仁兵衛本人の口から説明してもらい、非常に面白くて楽しい展示会でした。(^o^)/

  木偶師二代目・萬屋仁兵衛の世界…http://www.owarino.jp/sub/event/yorozu_11.htm

 恥ずかしながら、有名な「からくり儀右衛門(江戸末期から明治初期に活躍した発明家で、東芝の創業者)」のような「からくり人形の発明家」と、からくり人形そのものを作る「木偶師(でくし)」は別の職業だということを、この展示会で初めて知りました。またお祭りに出る山車(だし)は地方によって呼び名が異なり、飛騨高山では屋台(やたい)、京都では鉾(ほこ)とか山鉾(やまほこ)、関西地方では地車(だんじり)などと呼ぶということも初めて知りました。
 毎年6月に、近所の筒井町で天王祭が行われ、そのお祭りにからくり人形を載せた山車が出るので観に行っています。その筒井町のからくり人形を修復したのも二代目萬屋仁兵衛さんで、彼は名古屋の東区の出身だそうです。
 名古屋のお祭りはからくり人形を載せた山車が出るのが特徴で、第二次世界大戦で焼ける前は、からくり人形を載せた山車を日本で一番多く所有していたそうです。もし戦争でそれらが焼けなければ、名古屋はお城とからくり人形を載せた山車が出るお祭りで有名な都市になっていただろうとのことです。
 こういった技術的にも芸術的にも優れていて、しかも遊心あふれるからくり人形や山車が作られ、それを使ったお祭りが盛んに行われたのは江戸時代であり、あらためて江戸時代の文化水準の高さと精神的な豊かさに感心してしまいました。
 このような日本独自の文化を卑下して打ち壊し、欧米の植民地支配主義を見習って軍事国家を目指した明治時代や、欧米のカネと力崇拝主義を見習って、精神文化や人間性を切り捨てて経済最優先の合理化を強引に推し進めた高度成長時代の日本は、江戸時代に比べて経済的には非常に豊かになったものの、遊心や精神的な余裕を失い、精神的にも文化的にも非常に貧しい生活に明け暮れていたように思います。
 そういうことを考えると、豊かで文化的な生活というものはカネと力崇拝主義とは相容れないものであることを痛感します。

 ともあれ、からくり人形や、お祭りや、江戸時代の文化に興味がある人にはお勧めの展示会です。v(^_-)

・「立喰師列伝」押井守監督、2006年、日本
 コアな押井守ファンにはたまらない、”押井節”全開の作品です。とにかく押井守がただひたすら自分の趣味のために作った作品であり、押井守ファンの僕は最初から最後まで笑いっぱなしの感心しっぱなしでした。(^O^)
 本作はスチール写真の連続で動きを作り出す”スーパー・ライブメーション”と銘打った手法を用いていますが、要するに写真とCG技術を用いた紙芝居です。(^^;) 往年のフランス映画「ラ・ジュテ」(クリス・マルケル監督、1962年)も同じ技法を用いていますが、この作品がシリアスな内容を大真面目に作っているのに対して、本作は紙芝居にふさわしい荒唐無稽な内容を徹底的にふざけて——とはいうものの、ふざけている時ほどついつい真面目な本音が出てしまうところも、いかにも押井守です(^_-)——作っています。
 とにかくこれだけナンセンスな内容を、これだけもっもとらしく見せてしまう押井守の卓越した演出力には脱帽です。名ナレーターに対する褒め言葉として、「レストランのメニューを読んでも人を感動させてしまう」というものがありますが、本作は天才的な演出家・押井守が、屋台の定食屋・押井食堂のメニューを、まるで奥深い内容を持った社会派のドキュメンタリーのように読んで聞かせた作品と言えるかもしれません。
 本作を観て、笑って感心するか、呆れて見放すかで、コアな押井守ファンかどうかがわかります。押井守の”代表作”というと語弊があるでしょうが、「最も押井守らしい作品」であることは間違いないでしょう。(^_-)

 放射線は高いエネルギーを持つ素粒子または光子の流れのため、原子から電子をはじき飛ばしてイオン化する作用つまり電離作用を持っています。このため放射線を浴びると電離作用によって細胞中のDNAの一部が傷つき、遺伝子が変異することがあります。しかしDNAは二重螺旋構造によってゲノム情報を重複して持っているため、DNAの一部が傷ついても癌抑制遺伝子の働きでそれを修復することができます。また修復しきれない時は、やはり癌抑制遺伝子の働きで細胞がアポトーシスを起こし、傷ついたDNAを取り除くことができます。
 ところが癌抑制遺伝子が突然変異などで不活性化している場合はその機能が働かず、遺伝子が変異した細胞がそのまま増殖し続けます。また癌遺伝子が突然変異して異常に活性化している場合も、細胞が増殖し続けます。そしてこういった癌抑制遺伝子や癌遺伝子の変異もまた、放射線によって引き起こされることがあります。

 このような遺伝子の変異が積もり積もったあげく、細胞の異常増殖が抑えきれなくなって発癌するという説が多段階発癌仮説です。発癌率は加齢によって指数関数的に増加しますが、多段階発癌仮説に従えば、その理由は年を取るほど遺伝子の変異が積み重なる確率が指数関数的に増加するからだということになります。
 多段階発癌仮説のように、いくつかの条件が積み重なった時に発病するというモデルを「並列モデル」といい、このモデルによる発病率の時間的変化はガンマ分布という特殊な関数で表すことができます。この関数は「放射線による発がん・解説6 図4.3 被爆後のがん発生過程(模式図)」のグラフとよく似ていて、多段階発癌仮説の妥当性を表しているような気がします。(→当館の「統計学入門 11.6 パラメトリック生命表解析」参照)

 DNAを傷つけるものとしては、放射線以外にも紫外線や化学物質といった外因性の因子や、活性酸素や代謝産物といった体内に存在する内因性の因子があります。こういった障害因子の種類や量は環境や生活習慣によって左右されるため、癌の発生は環境や生活習慣によって左右されることになります。また遺伝的に癌遺伝子や癌抑制遺伝子が突然変異していることもあるため、癌は遺伝的素因と環境因子が複雑にからみ合って発症する活習慣病の一種ということになります。

 雑学コーナーに展示した「放射線による発がん——データ解析屋的解説」で説明したように、放射線には発癌作用があります。これにはゲノムが関係しているので、放射線による発癌メカニズムについて少し説明することにしましょう。
 発癌メカニズムの説明には、自動車のアクセルとブレーキの例がよく使われます。生物の細胞は常に細胞分裂によって増殖していますが、通常、そのスピードはアクセルとブレーキによってコントロールされています。しかし何らかの原因でアクセルを踏みすぎたり、ブレーキが利かなくなったりすると、細胞が異常に増殖して癌になります。
 そのアクセルの役目をするものが癌遺伝子であり、これは細胞分裂を起こさせて増殖を促進する機能を持っています。それに対してブレーキの役目をするものが癌抑制遺伝子であり、これは細胞分裂を停止したり、アポトーシス(細胞の自殺)を起こしたりして、増殖を抑制する機能を持っています。
 例えば癌遺伝子としては「erbB-2」と名付けられた遺伝子が有名であり、癌抑制遺伝子としては「p53」と名付けられた遺伝子が有名です。これらの遺伝子と発癌の関係は色々と研究されていて、僕も実際にそういった研究のお手伝いをしたことがあります。

 原理的には、癌遺伝子や癌抑制遺伝子が突然変異して正常に働かなくなると癌が発生します。しかし癌遺伝子や癌抑制遺伝子には多くの種類があり、しかもそれらが複雑に組み合わさって細胞増殖のスピードをコントロールしています。このためひとつやふたつの遺伝子が変異しただけでは癌は発生せず、多くの遺伝子変異が積み重なった結果、最終的に癌が発生するという「多段階発癌仮説」が現在は有力視されています。

・「青空どろぼう」阿武野勝彦監督、2011年、日本
 「平成ジレンマ」で一部のコアな映画ファンに強烈な印象を与えた、阿武野勝彦監督の最新ドキュメンタリー映画です。戸塚ヨットスクールの現在を圧倒的な迫力で描いた「平成ジレンマ」と違い、四日市喘息という公害の歴史を淡々と描写することによって、観客に深くて重い思考を促す作品になっています。
 この作品は福島の原発事故の前に完成していましたが、期せずして、福島の原発事故について深く考えさせられる内容になっています。これは、責任の所在を曖昧にするために「公害」という言葉を作り出した経済最優先の社会構造が、昔も今も全く変わっていないからであり、大都市の経済的繁栄が、その周辺の町の住民の犠牲の上にアグラをかいたものであることを再認識させられます。

 この作品の主人公の一人である澤井余志郎氏は、四日市喘息の患者達を支援する活動を40年にわたって無償で続けてきた人であり、「何よりも事実は強い」という信念に基づいて、事実を記録してそれを人に伝えるという活動を現在も継続している”公害記録人”です。この人の信念と活動内容、そしてその成果を見ていると、ジャーナリズムとマス・メディアあるいはマスコミは全く別物だということがよくわかります。
 またもう一人の主人公である野田之一氏は公害裁判の原告の一人であり、38年前、公害裁判で勝訴した時に、支援者に対して「まだ、ありがとうとは言えない。この町に本当の青空が戻った時、お礼を言います」という強烈なメッセージを残した、元漁師の喘息患者です。この人は公害裁判を企業対患者、権力対個人というステレオタイプな対立構図に落とし込まず、次のようにもっと大きなものとして捉えています。


「日本が敗戦の混乱から高度経済成長に向けて突っ走り、強引に近道をしようとしたために無理が生じた。その無理が産み出したものが公害なのだ。コンビナートで働く人達も、みんな日本のために良かれと思って必死に働いてきたのだから、コンビナートやそこで働く人達を憎いと思ったことはない。
ただ無理が何をもたらすかを知ってもらい、一度立ち止まって、それについてみんなで考えてもらうために我々は公害裁判を起こした。
コンビナートで働く人達がワルモノで、我々患者がイイモノというわけでは決してないのだ。


 「エコロジー」や「ボランティア」という外来語よりも、「もったいない」や「お互い様、おかげ様」という日本語の方がしっくりくるのと同様に、「デモクラシー」や「市民活動」という外国の概念よりも、このように「お互い様」という考えに基づいた懐の広い活動こそが日本の市民活動のあるべき姿だと思います。
 この野太くておおらかなヒューマニズムに対して、企業の経営者や政府は、「コンビナートを止めると日本経済が大打撃を受け、日本が潰れてしまう。日本の繁栄のためには多少の犠牲はやむを得ない」という、昔も今も変わらない欺瞞に満ちた言い訳で対応しました。
 第2次世界大戦前、政府と軍部は「満州は日本の生命線であり、これを手に入れないと日本が潰れてしまう」と主張して中国に侵略しました。そしてその結果、日本は戦争に敗れましたが、政府と軍部が主張したように日本が潰れることはなく、むしろ第2次世界大戦前よりも繁栄しています。これは、独裁政治をやめて民衆の権利を認め、戦争を放棄して平和に暮らし、財閥による富の独占をやめて民衆に富を公平に分配すれば、国全体が繁栄するという見事な実例です。
 公害についても、企業が公害対策に費用をかけたために企業が潰れ、日本が潰れるということはなく、環境が改善して労働条件も向上したため、長い目で見ればむしろ企業の業績は向上し、当時に比べて暮らしやすく豊かな社会になっています。
 こういった歴史を振り返ると、政府や企業の経営者が「日本のため」と言いながら、その実、自分達の目先の利益しか考えておらず、いかに近視眼的かつ利己的かということがよくわかります。

 誰もが原発問題について否応なく考えざるを得ない今、この映画を多くの人に観てもらいたいと思います。

 1973年、スタンフォード大学のスタンリー・コーエンとカリフォルニア大学のハーバード・ボイヤーらが、黄色ブドウ球菌のペニシリン耐性遺伝子と、アメリカツノガエルのリボゾーム遺伝子を、それぞれ別の大腸菌の遺伝子に組み込んで働かせることに成功しました。これが世界初の遺伝子組み換え実験であり、遺伝子の水平伝播を人為的に起こしたものに相当します。
 遺伝子組み換えでは、遺伝子を組み換えられる側の生物を「宿主(ホスト)」と呼び、組み込む側の遺伝子を持つ生物を「DNA供与体」と呼びます。例えばコーエンらの実験では黄色ブドウ球菌とアメリカツノガエルがDNA供与体であり、大腸菌が宿主です。
 遺伝子を宿主に組み込む時、遺伝子を宿主の細胞に運ぶものが必要になります。これを「ベクター(運び屋)」と呼びます。例えばウイルスによる遺伝子の水平伝播では、ウイルスはDNA供与体であると同時にベクターの役目も果たします。
 コーエンらの実験では、ベクターとして大腸菌のプラスミド(核外遺伝子)が使われました。プラスミドは核のDNAとは別に存在する小さなDNAであり、ウイルスのように、ある個体の細胞から別の個体の細胞に乗り移ることができ、遺伝子の水平伝播で重要な役目を果たしています。
 また目的の遺伝子をDNA供与体の染色体から切り出すには、「制限酵素」という特殊な酵素が利用されました。制限酵素とは、外から侵入してきたウイルスなどのDNAを切り刻むために細菌が持っている酵素であり、特定の塩基配列のところでDNAを切ることができます。そしてある種の制限酵素によって切られたDNAは、切り口のところでお互いに接合することができるという性質を持っています。
 この性質を利用すると、ある生物のDNAの一部を切り出し、それを別の生物のDNAに組み込むことができます。そして驚いたことに、別の生物のDNAに組み込まれたDNAは遺伝子として正常に働き、DNA供与体が持っていた機能を宿主に移植することができるのです。
 1034番の「ゲノム四方山話−遺伝子の数」に書いたように、もしゲノムが生物の設計図ならば、こんな継ぎ接ぎの設計図からまともな生物が組み立てられるとはとても思えません。しかし勘所だけをメモした覚書ならば、組み立て現場(^^;)が適当に判断して、まともな生物を何とか組み立てることが可能でしょう。このことからも、ゲノムは生物の設計図というよりも、勘所だけをメモした単なる覚書という説が説得力を持ちます。

 遺伝子組み換え技術はすでに色々な分野で利用されていて、人類はその恩恵を受けています。しかし加工食品のラベルに、「遺伝子組み換え大豆は使用していません」といった注意書きが決まり文句のように書かれていることからわかるように、まだまだ社会的に広く認知されるには至っていません。
 人間による人為的な品種改良が人類の努力の成果として賞賛されて受け入れられるのに対して、遺伝子組み換えによる品種改良は「何となく胡散臭くて危険なもの」として受け入れられないのは少々不公平な気がします。
 しかしこれは原子力や放射線に対する恐怖と同様に、未知のものに対する本能的な恐怖心であり、生物にとっては当然の自己防衛反応です。この本能的な自己防衛反応を克服するには、未知のものに対する正しい知識を持つと同時に、そのものの存在に慣れ、もし最悪の事態が起きてもこの程度の事態にしかならないということを感覚的に知り、頭と心の両面で——つまり理性と感情の両面で——未知のものを理解することが必要です。
 そしてそういった個人的な理解をベースとして社会的な認知度が上がり、集団パニックや風評被害といった事態が起こらないようになって、初めて「未知のもの」が「既知のもの」になります。つまり未知のものを既知のものにするためには、科学的な知識だけでなく、心理学的な知識と経験、社会学的な知識と経験が必要なのです。
 その意味で遺伝子組み換えによる成果が社会的に広く受け入れられるには、まだまだ相当長い時間と多くの試練が必要な気がします。

 嬉しいことに、当会議室に連載し、雑学コーナーにまとめて展示した「放射線による発がん——データ解析屋的解説」を自分のブログで紹介してくれた人がいます。それは「妄想オーディオ(http://ameblo.jp/mousou-audio/)」というブログの管理人をされている、”まあるさん”です。(^o^)/
 まあるさんは放射線の健康被害に関する情報を探していて、たまたま当館の「放射線による発がん——データ解析屋的解説」を読んでくれたそうです。そして自分のブログで紹介すると同時に、わざわざ僕にメールをくれてそのことを知らせてくれました。
 以前から、まあるさんは放射線の健康被害に関して科学的に正確な情報を発信しようと努力されていて、「放射線による発がん」を読んで放影研の一次資料の存在を知り、その内容をより深く理解するために放射線の健康被害について自分なりに計算し、その結果をブログに書かれています。

 「放射線による発がん——データ解析屋的解説」は内容が少々難しすぎたのか(^^;)、たまに内容の一部を紹介してくれるサイトやブログがあっても、文章の一部だけを取り上げて批評したり、評論したりしてくれるだけで、全体をじっくり読んで内容を理解した上で評論していると思えるものはあまりありませんでした。
 そして内容について僕に直接反論または批評したり、賛同してくれたりする人は——もちろん、当館の常連さんは別として——残念ながらこれまで皆無でした。(~o~)
 当館のコンセプトは「学問的な正確さを多少犠牲にしても、わかりやすさを優先する」というものであり、「放射線による発がん——データ解析屋的解説」は自分ではかなりわかりやすく書いたつもりなので、これは少々失敗だったかなぁ……とがっかりしていたところでした。
 でもこれを書いた僕の意図を正確に理解してくれて、放射線の健康被害について自分なりに理解するためにこの内容を役立ててくれた人が、たとえひとりでもいたと知って大いに勇気づけられました。
 それでこそ、苦労して書いた甲斐があったというものです。(^o^)v

>山本直樹先生

>>政治家が愚かでも現場ではこんな人たちがいます。
>>涙線の弱い私にはまぶしすぎる人です。日本は捨てたものではない!
 実にカッコイイ若者たちですね!(^o^)/
 「ボランティア」とか「市民活動」というと、とかく頭だけが先走って心がこもらなかったり、地に足が付いておらずにひ弱だったりしがちですが、このスコップ団は名前からしていかにも活動的で逞しいですよね。
 スコップ団のウェブサイトを見て、僕も感動してしまいました。
  スコップ団ウェブサイト…http://schop-dan.com/

>>日本は市民社会が十分発達していて、それは戦の無かった江戸時代からの良い
>>伝統「お互い様、おかげさま」なのだと思いました。
 日本人には、「エコロジー」という外来語よりも「もったいない」という日本語の方がしっくりくるのと同じで、「ボランティア」という外来語よりも、やっぱり「お互い様、おかげ様」という日本語の方がしっくりくるような気がしますよね。
 このことは、スコップ団の次のような言葉にもよく表れていると思います。

>>スコップ団は「ボランティア」という言葉が好きじゃない。
>>友達が困っているのを助けにいくのを、ボランティアって言う?
>>友達じゃないだと?
>>違うんだよ。
>>いつか友達になる可能性があるだろうがよ?

 今回のような大惨事の時こそ、日本人の特性と日本の市民社会の底力、そして政治家の愚劣さが浮き彫りにされますね。

1144. スコップ団 投稿者:山本直樹 [URL] 投稿日:2011/07/12(火) 07:07:10
政治家が愚かでも現場ではこんな人たちがいます。
涙線の弱い私にはまぶしすぎる人です。日本は捨てたものではない!
日本は市民社会が十分発達していて、それは戦の無かった江戸時代からの良い
伝統「お互い様、おかげさま」なのだと思いました。

・「アフガニスタンで考える 国際貢献と憲法九条」中村哲著、岩波書店、2006年4月
 ペシャワール会現地代表であり、PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長の中村哲先生が、アフガニスタンにおける人道的支援活動の内容と国際貢献に関する考え方を紹介された本です。本書は写真が中心の岩波ブックレットシリーズのひとつで、中村先生の業績と思想を知るには最適の入門書だと思います。
 中村先生は緒方貞子氏と並んで日本が世界に誇るべき人物であり、僕の尊敬する人物の一人です。中村先生と緒方氏の出自と国際貢献に対するアプローチ法は対照的と言っても良いほど異なっていますが、人道的支援活動で国際貢献を行っている点、”熱い心と冷たい頭”を持っている、つまり高い理想を持ちながらも徹底した現場主義者かつリアリストで、人の命を助けるためには自らの危険は顧みず、暴力以外のあらゆる手段を尽くす点——いみじくも、中村先生は「人の命を助けるためなら、私は犯罪以外なら何でもやる!」と言われています——等、非常によく似ています。
 「平和は戦争以上に積極的な力でなければならぬ」という中村先生の言葉は、緒方氏の「世界の平和は、受身で行動しているだけでは得られないのです」という言葉と同様の趣旨であり、二人が理論だけの平和主義者や感情だけの平和主義者ではなく、地に足をつけた実践的かつ積極的な平和主義者であることをよく表しています。

 本書を読むと、アフガニスタンに対するマスコミの報道がいかに情報操作されているかということと、欧米の政治家とそれに追従する日本の政治家が唱える”国際世論”が、いかに欺瞞に満ちた虚構であるかがわかります。
 それと同時に、江戸時代に完成された日本の伝統的な農業土木技術が非常に優れたものであること、カネもモノも少ないにもかかわらず、人々が心豊かに、お互いに助け合って平和に暮らす知恵と技術を当時の日本人が持っていたこと、そしてそれこそが、今の国際社会で日本が国際貢献することのできる重要なものであり、自衛隊の海外派遣に代表されるような欧米式の軍事力による国際貢献が全くの欺瞞であり、いたずらに暴力の連鎖を生むものであることを再確認することができます。
 軍縮を実現し、外国を侵略せず、身の丈に合った経済状態で満足し、精神文化を発展させ、300年近くも平和な時代が続いた日本の江戸時代は、「豊かな生活のためには経済の発展が必須であり、カネさえあれば幸せになれる」とか、「平和の維持には軍事力が必要であり、武力さえあれば自分の身を守れる」という世界中を席巻している迷信に対する立派な反証であり、欧米式のカネと力崇拝主義に対するアンチテーゼになると思います。

 1040番の書き込み「ゲノム四方山話−レトロウイルス」で少し説明したように、ヒトのDNAの中には大昔に感染したウイルスの遺伝子と思われるウイルス化石が存在します。ただしヒトのような多細胞生物の場合、ウイルス化石がその生物の機能に直接的な影響を及ぼしたことが確実なものはまだ見つかっていないそうです。
 しかし単細胞生物の場合は、他の単細胞生物からDNAの一部がDNAに取り込まれ、それがその生物の機能に直接的な影響を与えたものが見つかっています。例えば、最近、日本の焼肉屋チェーンやドイツで大暴れしている腸管出血性大腸菌(O157等)の毒素生産性DNAは、赤痢菌のDNAから取り込まれたと考えられています。
 このように遺伝子が母細胞から娘細胞に遺伝されるのではなく、個体間や他の生物間でやり取りされることを「遺伝子の水平伝播(Horizontal gene transfer:HGT、またはLateral gene transfer:LGT)」といいます。遺伝子の水平伝播は従来のセントラル・ドグマに反したものであり、かなり興味深い現象です。そしてこれを人為的に行なったものが、他でもない遺伝子操作なのです。

 そこで遺伝子の水平伝播をもっと推し進めて、「進化はウイルスの感染によって起こる一種の伝染病であり、突然変異と自然淘汰による進化論は間違いである」という「ウイルス進化説」を中原英臣氏と佐川峻氏が提唱しています。
 「地球上の最初の生命は宇宙からやってきた」というパンスペルミア仮説と同様に、ウイルス進化説はシロウトの僕が考えても難点がわかるほど矛盾の多いSFチックな仮説であり、専門家の間で認められた学説ではありません。しかしどちらも内容が一般受けするせいか、たまにマスコミで取り上げられたり、SF小説・SF漫画の題材にされたりしています。
 シロウトの気楽さから、僕もこういったトンデモ仮説には野次馬的興味を惹かれてけっこう好きだったりします。しかし多少なりとも自分の専門分野と関係し、実害があるホメオパシー(専門的にはプラセボ効果そのもの)のような疑似科学あるいは似非科学にはけっこう厳しくて、ついついムキになって批判してしまったりします。(^^;)

>通りすがり(^^;;さん

>>あとOS、Officeの選択のポイントとしては、変換効率の高い日本語入力・・というのもあるかも。。。
 確かに、日本語入力システムの効率の良さは作業効率に大きく影響しますね。
 以前は日本語入力システムにかなりこだわりを持ってましたが、最近の日本語入力システムは全体的に効率が良くなったので、今はこだわりを捨て、OSのデフォールトの日本語入力システムを使うようにしてますよ。Linuxの場合、ディストリビューションによってもバージョンによっても日本語入力システムがころころ変わり、しかもバージョンアップが頻繁なので、デフォールトのものをそのまま使うのが結果的には効率がいいんですよ。(^^;)
 Winの場合も、今はMS-IMEをそのまま使ってますね。ただしLinuxではデフォールトのままローマ字変換を使っているのに対して、Winではかな変換を使ってます。これはLinuxではプログラム作成とデータ処理が中心のため、キーボードをローマ字モードで使った方が効率的なのに対して、Winでは文章作成が中心のため、キーボードをかなモードで使った方が効率的だからです。
 おかげでキーボードがローマ字モードでもかなモードでも、ほとんど同じように打てますよ。(^o^)v

1140. Re[1139]:[1138]:[1137]:OOoからLibOに乗り換え 投稿者:通りすがり(^^;; 投稿日:2011/06/17(金) 16:44:27
毎度です。
あぁ、たしかに・・・。98とか一太郎とか、ちょっと前ですもんね(笑
判官贔屓は、とものり師匠らしい(*^^*

あとOS、Officeの選択のポイントとしては、変換効率の高い日本語入力・・というのもあるかも。。。
私は、最近はGoogle日本語入力(Win)一辺倒(=漢字ドンドン忘れていく)ですが。。。

>とものりさん

>>>通りすがり(^^;;さん
>>>>次期MSOfficeはクラウド。
>>>>残念ながら、まだまだ天下が続きそうです。。。
>> コンピュータ業界は変化が早いですから、今はその変化の早さに淡い期待を抱いてますよ。
>> 何しろ(僕の時間感覚で(^^;))ほんのちょっと前までは日電のPC-98シリーズとBASICマシンの天下で、その後はワープロマシンの天下で、その後はMS-DOSと一太郎の天下で……と、天下を取るマシンとソフトがめまぐるしく変わってきましたからねぇ。
>> でもへそ曲がりの僕はどの時代でも少数派のマイナーなマシンとフリーソフトを使ってきたので、もしもLinuxとLibOが天下を取ったら、もっとマイナーなOSとフリーソフトに乗り換えるかもしれませんけどね。(^^;)

>通りすがり(^^;;さん
>>次期MSOfficeはクラウド。
>>残念ながら、まだまだ天下が続きそうです。。。
 コンピュータ業界は変化が早いですから、今はその変化の早さに淡い期待を抱いてますよ。
 何しろ(僕の時間感覚で(^^;))ほんのちょっと前までは日電のPC-98シリーズとBASICマシンの天下で、その後はワープロマシンの天下で、その後はMS-DOSと一太郎の天下で……と、天下を取るマシンとソフトがめまぐるしく変わってきましたからねぇ。
 でもへそ曲がりの僕はどの時代でも少数派のマイナーなマシンとフリーソフトを使ってきたので、もしもLinuxとLibOが天下を取ったら、もっとマイナーなOSとフリーソフトに乗り換えるかもしれませんけどね。(^^;)

1138. Re[1137]:OOoからLibOに乗り換え 投稿者:通りすがり(^^;; 投稿日:2011/06/16(木) 13:48:20
毎度です。。
LibreOffice、いいですよね。
MSOfficeと比べても実用レベルでは問題ないのにね。。
ただ、専門学校も大学もMSなんですよね。
その延長で、企業も官公庁も・・・です。。。
次期MSOfficeはクラウド。
残念ながら、まだまだ天下が続きそうです。。。

>とものりさん

>> 最近、オフィススイートをOpen.Office.org(OOo)からLibreOffice(リブレオフィス:LibO)に乗り換えました。(^o^)/
>> 2010年にOOoの開発元であったSun MicrosystemsがOracleに買収され、OOoの開発が色々と難しくなったらしく、OOoプロジェクトの主要メンバーがOracleから離脱してThe Document Foundationという新しいグループを結成し、そこで開発したのがOOoから派生したLibOです。このためOOoはバージョンが3.2で止まり、LibOは3.3から始まりました。
>> Oracleのひも付きであるOOoと違ってLibOは完全なオープンかつフリーソフトですし、会社組織から離脱してフリーランスになった僕としては、どうしてもLibOに肩入れしてしまいます。使い勝手はOOoとほとんど変わらず、これまでOOoで作成したファイルも全て何の問題もなく使用できますし、MS-Officeとの互換性もOOoと同じです。(^_-)
>> 今はMS-Officeがデファクトスタンダードであり、官公庁もMS-Officeを使用しています。しかしこれらを全てLibOかOOoにすれば膨大な経費が節約できる上に、MS嫌いの僕にとっても大いに好都合です。ついでにOSもLinuxにすればもっと経費が節約でき、僕にとってはさらに好都合です。
>> 早くそういう時代になって欲しいもんです。
>>

 最近、オフィススイートをOpen.Office.org(OOo)からLibreOffice(リブレオフィス:LibO)に乗り換えました。(^o^)/
 2010年にOOoの開発元であったSun MicrosystemsがOracleに買収され、OOoの開発が色々と難しくなったらしく、OOoプロジェクトの主要メンバーがOracleから離脱してThe Document Foundationという新しいグループを結成し、そこで開発したのがOOoから派生したLibOです。このためOOoはバージョンが3.2で止まり、LibOは3.3から始まりました。
 Oracleのひも付きであるOOoと違ってLibOは完全なオープンかつフリーソフトですし、会社組織から離脱してフリーランスになった僕としては、どうしてもLibOに肩入れしてしまいます。使い勝手はOOoとほとんど変わらず、これまでOOoで作成したファイルも全て何の問題もなく使用できますし、MS-Officeとの互換性もOOoと同じです。(^_-)
 今はMS-Officeがデファクトスタンダードであり、官公庁もMS-Officeを使用しています。しかしこれらを全てLibOかOOoにすれば膨大な経費が節約できる上に、MS嫌いの僕にとっても大いに好都合です。ついでにOSもLinuxにすればもっと経費が節約でき、僕にとってはさらに好都合です。
 早くそういう時代になって欲しいもんです。

 昨日(6月11日)、カミさんの父親の四十九日の法要がありました。1119番の書き込みに書いたように義父は家族葬だったので、四十九日の法要も家族だけの簡単で気楽なものでした。
 法要が終わった後でご住職と世間話をしていたところ、次のような印象的な話をしてくれました。
 「昔は一人暮らしの老人が家でポックリ死んだりすると、老人仲間達から『誰にも看取られずに死ぬなんて可哀想に…』と同情されたものだが、今は『誰にも迷惑をかけず、長患いもせずにポックリ逝くとは羨ましい…』と羨ましがられることが多い。世の中はどんどん変わって行くものだ」
 日本が超高齢化社会になって老人の介護問題が大きくなりつつある現在では、この話は何となく納得できるような気がします。僕も自分の世話が自分でできるうちに、ちょうど良い頃合を見計らって、「それでは、お後がよろしいようで…」と小粋にこの世からおさらばしたいもんです。(^_-)

・「緒方貞子−難民支援の現場から」東野真著、集英社新書、2003年6月
 元国連難民高等弁務官で、現在は国際協力機構(JICA)理事長を務められている、緒方貞子氏の業績と思想を紹介したノンフィクションです。著者は緒方氏に関するドキュメント番組を製作したNHK社会情報番組チーフ・ディレクターであり、ドキュメント番組のために行った本人へのインタビューと関係者の証言を中心にして、番組では描き切れなかった緒方氏の思想と人となりを生き生きと描いています。
 緒方氏は僕の尊敬する人物の一人であり、著者が製作した緒方氏に関する番組は全て観ていましたが、本書を読んで、氏の偉大な業績と類稀な人格をより深く知ることができ、あらためて尊敬してしまいました。

 NHKのドキュメント番組を観た時に最も印象的だったのは、
 「そんなに平和ないい世界に住んでいるんじゃないですよ……20世紀が終わってもね」
という氏の言葉と、この言葉をつぶやくように言った時の氏の複雑な表情でした。
 この言葉は本書の中でも紹介されていて、やはり印象的ですが、本書にはドキュメント番組では紹介されなかった言葉や氏の考え方が数多く紹介されていて、
 「世界の平和は、受身で行動しているだけでは得られないのです」
という言葉が特に印象的でした。
 この言葉は、表面的には前航空幕僚長・田母神俊雄氏の著書のタイトル「座して平和は守れず」と似ていますが、このタイトルが内向きの国家主義(Nationalism)に基づいたものであるのに対して、緒方氏の言葉は外向きの国際主義(Internationalism)に基づいたものであり、基本的な思想と行動原理——敵対と協調、暴力と非暴力——が全く正反対です。
 その違いを理解するためにも、緒方氏という類稀なる人物を知ってもらうためにも、多くの人に読んでもらいたい本です。

・「誰も知らない」是枝裕和監督・脚本、2004年、日本
 「ワンダフルライフ」の是枝裕和監督の問題作であり、主演の柳楽優弥がカンヌ映画祭で史上最年少かつ日本人として初めての最優秀主演男優賞を獲得したことで、一躍、有名になりました。「ワンダフルライフ」では小田エリカの存在感が印象的だったように、この作品では柳楽優弥の存在感が非常に印象的であり、作品の後味を忘れがたいものにしています。
 この作品はドキュメンタリータッチの作品を得意とする是枝裕和監督の特徴がうまく生かされていて、実験的な作品である「ワンダフルライフ」に比べると比較的オーソドックスでわかりやすいと思います。河瀬直美監督に代表されるように、ドキュメンタリー出身の監督は作家性を重視して大衆受けすることは二の次のような作風が多いのですが、この作品を観ると、是枝裕和監督は作家性を生かしつつ、大衆受けする作品にシフトしようとしているような感じがします。
 是枝裕和監督が次はどのような作品に挑戦するのか楽しみです。v(^_-)

 3月7日に1042番の「プロテインワールド」を書き込んだ後、しばらくの間ゲノム四方山話を書き込むことができませんでした。別に東日本大震災とは無関係な書き込みを「自粛(^^;)」していたわけではありせんが、東日本大震災のことで頭の中が一杯になり、ゲノムのことを考える余裕がなかったのです。
 でもこの会議室に書き込んだ「放射線による発がん」の解説をまとめて雑学コーナーに展示し終わり、何となく一区切りできたような気になったので、そろそろゲノムのことを思い出そうとしています。
 頭の中がゲノム色に染まったら、またぼちぼちとゲノムに関する戯言でも書き込むことにしましょうかねぇ……。(^_-)

・「リストカットの向こうへ」生野照子著、新潮社、2009年6月
 心療内科・小児科医である生野照子先生が書かれた小説で、不登校の娘と女性医師の葛藤を臨場感に溢れた筆致で描いた、限りなくノンフィクションに近いフィクションです。
 生野先生といえば、日本における摂食障害治療の第一人者として、心身医学界では誰もが知っている名医です。その生野先生が神戸女学院大学人間科学部の教授をされていた時(現在は名誉教授)、ひょんなことから学生達の統計学指導を依頼されたことがあります。そして生野先生のお人柄に惹かれてすっかりファンになってしまった僕は、先生が神戸女学院を退職されるまで、毎年、卒研シーズンに学生達の統計学指導をさせていただきました。

 その生野先生が心身症をテーマにした一般向け解説書やノンフィクションではなく、小説を書かれたということを知って最初は驚きました。しかし本書を読んで、これを小説にした先生の意図が何となく理解できたような気がします。
 出来事を客観的かつ正確に伝えるには、フィクションよりもノンフィクションの方が向いています。しかし心の問題が身体の症状として現れる心身症については、患者の外面的な症状よりも内面的な深層心理の方が重要であり、それは必然的に非常にプライベートな問題になります。そのような問題を正確かつ真摯に伝えるには、むしろフィクションの方が向いていると生野先生は思われたのではないでしょうか。
 特に本書の前半の第一部からは、そのような印象を受けました。主人公は大学病院で心身症外来を担当している小児科の女性医師であり、若き日の生野先生を思わせます。患者との対話の様子も臨床現場における生野先生を連想させ、主人公のセリフが生野先生独特の相手を包み込むような上品で優しい声で聞こえてくる感じです。
 しかし後半の第二部になると、主人公の女性医師を始めとするキャラクター達が作者の手から離れ、独立した存在として物語の中で生き生きと行動し始めます。そして第一部では作者にリードされていた物語が彼女達にリードされるようになり、物語はその必然的な大団円に向かって突き進んでいきます。
 つまり第一部では物語は作者の手の中にあり、キャラクター達も作者の意図どおりに行動していたのが、第二部ではキャラクター達が自らの意思で行動し始め、作者が物語に憑依されて、キャラクター達の行動や心理状態を自動書記的に記述する存在になっているように感じられるのです。
 そのせいで本書は限りなくノンフィクションに近いフィクションであると同時に、小説として見事に成功していると思います。これは優れた医師であり冷静な研究者であると同時に、豊かな感受性とクリエイティブな才能に恵まれた生野先生ならではのものでしょう。
 医療関係者や臨床心理学関係者だけでなく、一般の人にも是非読んで欲しい小説です。

・「キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち 上・下」平敷安常著、講談社、2008年9月
 アメリカABCテレビの名カメラマン”カミカゼ・トニィ”こと平敷安常氏の回想録で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した傑作です。「ベトナム戦争の語り部たち」という副題が示すように、ベトナム戦争を決死の覚悟で報道した数多くのジャーナリストとカメラマン達の、個性的なプロフィールやエピソードを生き生きと描いています。
 若かりし頃、当時の若者の例に漏れず、僕も一応はベトナム反戦の学生運動をやっていましたし、伝説のフォト・ジャーナリスト、ロバート・キャパにも興味を持っていました。そのため新聞でこの本の宣伝を見た時、機会があれば読んでみたいと思っていました。
 それが最近、知り合いの先生(医師)から「僕の叔父さんが本を書いたので、興味があったら読んでみてよ」と、思いがけずこの本を紹介されたのです。w('o')w

 そういった個人的な因縁と、素直で率直な著者の筆致のおかげで、最初から著者に感情移入してしまい、著者が深く敬愛していた沢田教一とテリー・リーが殉職する章では、まるで自分の友人が死んだような気になって本気で泣いてしまいました。マスコミに対して偏見を持っているマスコミ嫌いの僕ですが(^^;)、この本に登場する若者達の、まさに決死の覚悟で戦争の真の姿を伝えようとする真摯な姿勢には、やはり胸を打たれてしまいます。
 そして驚いたことに、ベトナム反戦運動の象徴的なフォークソング「坊や大きくならないで」は、この曲の作者であるベトナムの作曲家トリン・コン・ソンと知り合いだった著者が、意訳して日本に紹介したものであることをこの本で知りました。またカンボジア内戦を題材にした映画「キリング・フィールド(ローランド・ジョフィ監督、1984年、イギリス・アメリカ)」のモデルとなった、ディス・プランと著者は仕事仲間であり、映画に描かれなかった内幕の一部をこの本によって知ることができました。
 「キリング・フィールド」を始めとして、エルサルバドルの内戦を題材にした映画「サルバドル(オリヴァー・ストーン監督、1986年、アメリカ)」や、ボスニア紛争を題材にした「ハンティング・パーティ(リチャード・シェパード監督、2007年、アメリカ)」といった戦争ジャーナリストを主人公にした映画を観たことがあり、戦争とジャーナリズムについてそれなりに考えさせられました。
 しかしこの本はノンフィクションであるだけに、戦争ジャーナリスト達が生身の人間であることをより強く感じさせてくれ、戦争について、ジャーナリズムについて、そしてジャーナリズムと世論について、色々なことをより深く考えさせられます。
 ベトナム戦争に興味のある人やジャーナリズムに興味のある人だけでなく、それらに興味のない普通の人にもお勧めしたい本です。

>通りすがり(^^;;さん
>>ただ時代の流れは早く、ひょっとしたら数年後はPCOSの一角として、Google hromeOS(=クラウド&Netbook)になっているかもしれませんが。。
 コンピュータ分野は進化が急速すぎて、ひとつのシステムを安定して作動させる期間がやたらと短いですね。
 思えば4ビットのプログラム付き電卓から現在のFedoraまで、ひとつのシステムを安定して使っていた期間は平均すると1年に満たないと思いますよ。システムのバージョンアップにかかる時間だけでかなりのものになるので、いい加減いやになりますね。(~o~)
 会社でコンピュータの管理をしていた時とは違って、今は常に最新バージョンを使うのではなく、Linuxは一つ前の安定したバージョンを使い、Windowsはどうしても必要にならない限りバージョンアップはしないようにしてます。
 近い将来には、Winと同様にLinuxも、どうしても必要にならない限りバージョンアップはしないようになりそうですよ。(^^;)

1129. Re[1127]:Fedoraを14にアップグレード 投稿者:通りすがり(^^;; 投稿日:2011/05/22(日) 21:45:52
まいどです。。

FedoreCore RHLのサポート受け、順調に進化してますね。

ただ時代の流れは早く、ひょっとしたら数年後はPCOSの一角として、Google ChromeOS(=クラウド&Netbook)になっているかもしれませんが。。


>とものりさん

>> 昨年の9月にVineからFedora13に乗り換えた後、11月にはFedora14がリリースされました。しかしその時はFedoraに乗り換えたばかりだったので、14にグレードアップするのはやめておきました。
>> 最近になってようやくFedoraに慣れたので、14にアップグレードすることにしました。Fedoraは、OSのアップグレードもソフトウェアのバージョンアップと同じようにSoftwareUpdateというプログラムで行うことができます。しかしアップグレード専用コマンドpreupgradeが提供されているため、念のためにこのコマンドを使ってアップグレードすることにしました。
>> preupgradeコマンドを実行するとアップグレード用ソフトをダウンロードし始め、それに約1時間かかりました。それから再起動してソフトのインストールが始まり、これが約2時間かかり、インストール終了後の後処理に約1時間かかりました。それからまた再起動したところ、無事にFedora14が立ち上がりました。その後、ソフトウェアの更新をチェックしたところ24個も更新があったので、それらを更新してようやくアップグレードが終了しました。
>> それからバージョンアップされた作業環境をチェックしたり、自作のソフトの作動をチェックしたりして、全ての作業が終了するのに約5時間ほどかかってしまいました。
>> Vineの時はOSのアップグレードはOSの入れ替えになってしまい、データのバックアップとリロードとか、プログラムのリコンパイルとか、作業環境の調整といった作業が必要でした。またWinではOSのアップグレードは新しいOSを購入することになり、有料の上にOSの入れ替えになります。
>> Fedoraのアップグレードは無料で、しかもOSだけバージョンアップすることができるので、それらに比べると随分楽です。(^o^)v
>>
>> こうしてアップグレードが終了し、ほっとしていた矢先に、Fedora15が5月下旬にリリースされるということを知りました。w('o')w
>> や〜れやれ、近いうちに今度は15にアップグレードしなければならないようですわい…!g(+o+)
>>

・「しあわせの雨傘(Potiche)」フランソワ・オゾン監督、2010年、フランス
 今年もまたゴールデンウィーク恒例の三越映画劇場・無料招待券を貰ったので、「大ヒットした作品ではないものの、映画ファンの間で話題になったちょっといい作品」を観てきました。v(^_-)
 今回の作品は、女優使いの名人オゾン監督がカトリーヌ・ドヌーヴのために撮った、ドヌーヴに対するオマージュ映画です。往年の名作「シェルブールの雨傘」を連想させる題名と、オゾン監督作品ということで、もう少しひねった内容を期待したのですが、フランス映画らしい少し毒のあるエスプリは効いているものの、内容的にはドヌーヴに対するストレートなオマージュでした。
 この作品の前にドヌーヴと組んだ傑作映画「8人の女たち」では、ドヌーヴを立てつつ、他の7人の女優の個性もうまく引き出していました。しかしこの作品は最初から最後まで徹底的にドヌーヴのための作品であり、オゾン監督のドヌーヴ・ファンぶりが微笑ましい気がしました。
 もっともドヌーヴ・ファンではない僕にとっては、少々苦笑いも混ざった微笑ましさでしたが……。(^^;)

 昨年の9月にVineからFedora13に乗り換えた後、11月にはFedora14がリリースされました。しかしその時はFedoraに乗り換えたばかりだったので、14にグレードアップするのはやめておきました。
 最近になってようやくFedoraに慣れたので、14にアップグレードすることにしました。Fedoraは、OSのアップグレードもソフトウェアのバージョンアップと同じようにSoftwareUpdateというプログラムで行うことができます。しかしアップグレード専用コマンドpreupgradeが提供されているため、念のためにこのコマンドを使ってアップグレードすることにしました。
 preupgradeコマンドを実行するとアップグレード用ソフトをダウンロードし始め、それに約1時間かかりました。それから再起動してソフトのインストールが始まり、これが約2時間かかり、インストール終了後の後処理に約1時間かかりました。それからまた再起動したところ、無事にFedora14が立ち上がりました。その後、ソフトウェアの更新をチェックしたところ24個も更新があったので、それらを更新してようやくアップグレードが終了しました。
 それからバージョンアップされた作業環境をチェックしたり、自作のソフトの作動をチェックしたりして、全ての作業が終了するのに約5時間ほどかかってしまいました。
 Vineの時はOSのアップグレードはOSの入れ替えになってしまい、データのバックアップとリロードとか、プログラムのリコンパイルとか、作業環境の調整といった作業が必要でした。またWinではOSのアップグレードは新しいOSを購入することになり、有料の上にOSの入れ替えになります。
 Fedoraのアップグレードは無料で、しかもOSだけバージョンアップすることができるので、それらに比べると随分楽です。(^o^)v

 こうしてアップグレードが終了し、ほっとしていた矢先に、Fedora15が5月下旬にリリースされるということを知りました。w('o')w
 や〜れやれ、近いうちに今度は15にアップグレードしなければならないようですわい…!g(+o+)

 諸般の事情で、少し前に仕事部屋を南向きの健康的な部屋から北向きの不健康な部屋(^^;)に替えました。それに伴ってLANの配線をやり直すことになったので、この際、LANケーブルを買わずに自作することにしました。
 今はLANケーブルの自作用キットが市販されていますし、インターネットなどでLANケーブルの自作方法を解説しているサイトがあるので、LANケーブルを比較的簡単に自作することができます。
 今回はLANケーブルの自作キットは買わず、アメ横の工具専門店で圧着工具(かしめ工具)だけ買いました。価格は2千円弱で、電話線用のモジュラーケーブルの圧着もでき、その上ケーブルの被覆を切り取るストリッパーまで付いている優れ物です。ケーブルはこれまで使っていたLANケーブルがかなり長いものだったので、それを短く切って使うことにし、RJ-45プラグだけを買いました。
 そしてインターネットでLANケーブルの自作方法を調べ、それに従ってLANケーブルを自作してLANの配線をやり直すことができました。LANケーブルを自作したのは初めてですが、拍子抜けするほど簡単にできてしまいました。
 そこでもっとLANケーブルを作ってみたくなり、今は友人や知人の中でLANケーブルを必要としている犠牲者がいないか、虎視眈々と探しているところです。(^^;)v

>山本直樹先生
>>以下に示したものは携帯電話のCMだそうです。
>>http://www.youtube.com/watch?v=C_CDLBTJD4M
>>日本人でも日本人の感性でバッハを理解できることを確信しました。
 う〜む、企業のCMってのが少し気に入りませんが(^^;)、素晴らしいアイデアですね!
 バッハの音楽は普遍的なので、どんなシチュエーションでもぴたりとはまりますね。この演奏を聴いていて、何となくMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)が演奏していたバッハを思い出しましたよ。木琴風の音がビブラフォンの音を連想させたのです。

>>また有名な良寛の漢詩を思い起こされました。
 以前、復元された水琴窟の音を聞いた時、この漢詩を連想しましたよ。でも、バッハの音楽もこの漢詩に見事に合いますね。バッハの音楽は人間が創ったものではなく、天から舞い降りてきた音楽という感じがしますからね。
 バッハの宗教音楽は自然崇拝の神道に合うような気がします。そして非常に人間的な苦悩と熱情に溢れたベートーヴェンの音楽は、人間的で克己的な仏教に合うような気がしますね。

1124. 主よ、人の望みの喜びよ 投稿者:山本直樹 [URL] 投稿日:2011/05/10(火) 20:49:41
杉本先生
こんな時こそさわやかな話題を。
以下に示したものは携帯電話のCMだそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=C_CDLBTJD4M
まごうことなき、西洋音楽真髄であるのバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」ですが、これほど日本の風土に合った「主よ、人の望みの喜びよ」を聞いたことがありません。日本人でも日本人の感性でバッハを理解できることを確信しました。また有名な良寛の漢詩を思い起こされました。
「没絃琴」   「没絃の琴」     
 静夜草庵裏   静夜 草庵の裏
 独奏没絃琴   独り奏す没絃の琴
 調入風雲絶   調べは風雲に入りて絶え
 声和流水深   声は流水に和して深し
 洋々盈渓谷   洋々渓谷に盈ち
 颯々度山林   颯々山林を度る
 自非耳聾漢   耳聾の漢にあらざるよりは
 誰聞希声音   たれか聞かん 希声の音

静かな夜がしんしんと再けていき、貧しい草庵の内で私は独り、絃のない
琴の調べに聴き入っている。その妙なる調べは風雲に入り、せせらぎの
音と調和し、広々と渓谷に満ち、颯爽として山林を渡っている。
それは私が奏でている音楽なのか、それとも自然が奏でている音楽なのか、私にも定かにわからない。いずれにしても、世間の雑音には耳を傾けない者でなければ、この妙なる音楽は聴こえまい。

>山本直樹先生

>>私がかかわっている岐阜ホスピスケアをすすめる会のHPに以下のような書き込みがありました。
>>多くの人にこの親子のことを知っていただきたく、転載させて下さい。
 貴重な書き込みを転載していただき、ありがとうございました。このような書き込みに対して、「感動的」などという通り一遍の言葉は何となく不遜のような気がして、言うべき言葉がありません。
 また僕のような人間では、本田先生のお人柄を偲ぶことはできても、気持ちを共有できるとはとても思えませんが、本田先生と同じようにこの親子のことを多くの人に知ってほしい思いだけは共有できる気がします。
 僕が持っているネットワークを利用して、この書き込みをできるだけ多くのところに転載したいと思います。
 どうもありがとうございました。

1122. 命の価値 投稿者:山本直樹 [URL] 投稿日:2011/05/04(水) 17:49:10
杉本先生、またこの掲示板を見ている方々
私がかかわっている岐阜ホスピスケアをすすめる会のHPに以下のような書き込みがありました。
多くの人にこの親子のことを知っていただきたく、転載させて下さい。
私達の同胞はけなげです。また本田先生のお人柄がしのばれます。

いわきの本田です

このメーリングリストの趣旨とは合致しませんが、投稿させてください
私と気持ちを共有してください



1年間のNICU入院生活の後に、在宅人工呼吸器で退院された13トリソミーの赤ちゃんがいました。4月から養護学校入学予定でした。


3歳の弟がいます。

お母さんは妊娠中で、その子の入学式に出席されるために3月28日を帝王切開予定にしていました。

津波が来て、お子様二人、お母さんが流されました。

お母さんは二人のお子さんを抱え妊娠中でもあったため、避難が遅れたようです

母親は子供二人を抱きかかえたまま離さず、流されてお亡くなりになりました

本日、その13トリソミーの赤ちゃんが見つかり荼毘に付したとお父さんが報告にいらしてくれました。

下のお子さんは、いまだに行方不明です。



私見ですが、寝たきりの13トリソミーの赤ちゃんを置いて、3歳の子と二人なら逃げられたのかもしれません。そのように考える私は綺麗ごとを言っても、しょせん偏見の塊であることを認めなければなりません。母親の愛は、理屈でしか物事の価値を判断できない私のちっぽけな心をはるかに凌駕しています。


生まれてきた命にはすべて同じ価値がある、そんなことを言う資格は私にはありません。それを実践された家族にのみ許された言葉だと思います。

しかし、その家族の気持ちをたくさんの人に伝えることはできます。それがこれからの私の使命だと思います。

母親は理屈抜きに全ての子供に同じように命がけで愛情を持つ、この母親の気持ちをすべての周産期関係者に知っていただきたいと思います。



お父さんが伝えていかれた言葉は

NICU入院中はかなり厳しい経過もありましたが、助けていただいて、ありがとうございました。

生まれた時は、足が震えて、「この子からは、子供を持った喜びは、もらえないのではないか」と感じたこと。

でもこの子を中心に家族がまとまることができて、健常な赤ちゃんを育てただけでは得られない幸せを感じられた。子供に感謝している。

この子が生まれたこと、この子を育てることができたこと、に感謝している。

母親を尊敬している。

障碍者は災害の時は弱者であること。

その他たくさん思い出話もしましたが、よく覚えていません。

本当に子煩悩なお父さんで、お母さん思いのご主人でした。毎日、仕事帰りにNICUにいらっしゃり、遅くまで二人で面会されていました。




私が一番印象に残っているのは

退院する頃、お母さんに「本田先生!この子は笑うようになるんでしょうか?」と尋ねられ

「う〜〜ん。家に帰れば、その可能性はあるけどねえ」とお答えしました。

退院1か月後に、はじけるような笑顔の写真をNICUに送ってくれました。

「退院するときは、また本田先生が気休めを言っていると思いましたが本当に笑うようになりました」

と手紙に書いてありました。予後不良の赤ちゃんでも、在宅での家族の関わりで飛躍的に発達を遂げることを学びました。

本当はもっと別なことを学ばせていただいたのですが、言葉に表現できません。家族の愛は素晴らしいという事かもしれません。よくわかりません。

ご推量お願いします。



この赤ちゃんは「口唇修復術を施行した13トリソミーの2例」として、一昨年、未熟児新生児学会に報告させていただいています

笑顔の写真も提示しましたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。

手術をしたことにより、愛情がより湧いたこと

外出も気楽にできるようになったこと

たくさんの人に赤ちゃんを見てもらえるようになり、より喜びを感じることができたこと

などを、自宅を訪問した折に両親にお話を頂きました。

そう言えば、すぐその先が海でした


まとまりが無くなり、申し訳ありません。家族の了解を得て投稿しています
無力な私ですが、ご主人と二人でお母さんたちの命を無駄にしないための、何かの行動を一緒にしましょうと約束しました。

今回の震災では2万人以上の犠牲者がいるそうです。

同様の物語が2万通りあることを、もう一度銘記したいと思います



いわき市立総合磐城共立病院 未熟児新生児科 本田義信





お父さんには、このことをたくさんの人に知ってほしいという気持ちがあり

私もたくさんの人に知ってもらって、たくさんの人に何かを感じてもらいましょう

と約束したので、どこに公表しても構いません